ゼロの概念

記入日:2003/09/18

法律番組が増えた気がする。あまり見ないのだが、庶民的な問題に有罪か無罪かという判決が下り、ゲストがああだこうだと言うのがパターンだ。

見ていてふと思ったのが、こうこうこういう法律があるから、これは有罪である、または無罪であるという結論だけだと、たまに変な法律があるんだなと思って、そこで終わってしまっている場合があること。何故そういう法律が出来たのか、○○を取り締まるためにというのがないとすっきりしない。物事を一端だけ見て理解したつもりになると、全体が怪しく見えてくる。

数式も同じ気がする。公式だけ覚えて問題を繰り返しやれば、それで点は取れてテスト的な問題はない。だけど、何故そういう式になったのか、何故そういう式が必要なのか。いつどんな風に何を求める式なのか、というのがないと釈然としない。まぁ、そんなの教えている余裕もないんだろうけど。でも、そう、せめて教科書の端にでも書いてあれば……と、書いたところで、もしかして自分が見ていなかっただけでは、とも思えてきた。

教科書の端にある予備知識的なものでは、保健体育の問題集には数ページおきにミニコラムがあったのを覚えている。その中にあった、異常な両親の元で小屋に閉じこめられ、日に何度か食事を母が運んでくる以外には一切の外的接触がないまま思春期を迎えた少女の話が忘れられない。その少女は異常な両親の元から保護されたときにはやせ細り、言葉を話すことが出来なかったばかりが、幼児並みの知能と反応だったと書いていた気がする。恐ろしい話だ。

それは第二次成長の項であったコラムだったが、ある意味本題よりもよく覚えているが、同時に第二次成長期だけでなく、いろんな意味で育つことの重要性というか、環境の与える大きさを記憶させたものだった。

数学の話では、確かエジプトで最初に「0」という数字の概念が出来たというようなことをどこか、教科書以外の書物で見た気がする。習ったから普通に「0」は使えるのだが、存在しないものに数字を割り当てようと、それこそ無から有を生み出すのは大変なことだったのかもしれない。0の登場のおかげで、数学は飛躍的に発展したとあった。円周率はどうやって導き出されたか、方程式はどのようにして生まれたか、なんてことをやっていくと無機質に見える数式にもロマンを感じる、かもしれない。

つまりはそう、なくても大丈夫な知識が人には必要ではないか、ということである。つきつめれば、トリビアの泉が面白いということだったりする。

教育、か……。総合学習が好きな生徒は小学校で9割いるそうな。前に少し働いた職場(環境関係)にも、結構総合学習で生徒(小学生の場合は児童)がやってきたなぁ。環境ブームなのか、生徒自身はそんなにやる気がないけれど、先生が「環境なんか、いいんじゃない」と言ったのか、何を質問していいのかわからないまま、忙しい仕事時間を割いてくれとやってきた学校もあった。

先生の中には、出会いがないのか、若い独身男性を物色するように眺め、親しくなろうとしている人も……いたような、いないような。

 

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