メディアリテラシー

記入日:2003/10/03

「メディアリテラシー(渡辺武達 著)」<1997.1.17.初版発行>なるものを読んだ。今日はその感想文(みたいなもの)。

印象に残っているのは、まず地震デマのこと。いつ、どこで、どの大きさで地震が起こるかを予知するのは、現在の科学水準ではできないし、ここ当分は無理であることがはっきりしているときには、予知論は非科学的ということ(イギリスの科学雑誌より)。

つまり、あれだ。科学的に立証されたものもなしに地震が起こると不安をかき立てて、不安がらせて視聴率を稼いだり、発行部数を稼いだりするなという話。ちなみに、民放連の放送基準で「動揺や不安を与えるものは慎重に取り扱う」とあるそうだ。

他にも興味深いのはいろいろとあった。新潮、文春、マルコポーロ等の批判等見ていると、何であの手の雑誌が図書館にあるのかと思えてくる。まぁ、この本を全面的に信じればであるが(たぶん、そうなのだろうけど、何せ自分の目で確かめてないから)。

あと、メディア業界は広告収入にだいぶ依存していること。それによるスポンサーである大手企業へのへりくだり?(スポンサー側の不祥事は放送しない)、そして無線局開設には郵政大臣<郵政省(現:総務省かな?)>の許可がいるため、国のほうにもへいこらしなくてはいけないこと(不利な情報は流せないことも)、それから審査機関も所詮大手企業のトップなどがバックボーンとなっているので、やっぱり自社にとって不利な訴えは退けられることなど、そうなんじゃないかなぁ~と思っていることが、やっぱりなとなってしまった感がある。

番組内容でもスポンサー側に配慮することを考えると、何というかもうメディアそのものが巨大な広告に思えてくる。メディアが成り立っているシステムそのものの問題を感じるとともに、それに関してミクロレベルでの擁護をしそうな昔の同僚を思い出した。

メディアは社会を大きく左右するものだから、見なければ済むの問題ではない、ということはおいておいて、あまりここを堅苦しくするのも何なので、私が書くものも話半分にしといてねと書いて締めにします。

 

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