タルムード

記入日:2003/10/14

タルムード(TALMUD)とは「偉大な研究」の意であり、ユダヤ民族を支えてきた生活規範である。そのタルムードを訳し、幾つかを紹介したものが「ユダヤ五〇〇〇年の知恵 聖典タルムード発想の秘密(ラビ・M・トケイヤー 加藤英明=訳)」である。

こう書くと難しい宗教哲学的な書物のように感じるかも知れないが、実のところは「一休さんのとんち話集」のようなものである。というのは言い過ぎだが、まったくのはずれというわけでもないと思う。これに近い書物と言えば、やはり聖書になるだろう。

ひとつ、逸話として面白いものを挙げてみる。これはラビと呼ばれるユダヤ教の僧侶が、タルムードを学ぼうとしたユダヤ研究者に出した問題である。「二人の男の子が煙突掃除をした。一人は顔が真っ黒に、もう一人はきれいな顔で煙突から降りてきた。あなたは、どちらの子が顔を洗うと思うか?(要約しています)」

「顔の汚い子が洗う」と男は答え、ラビは「タルムードを開く資格がない」と男に言った。男は「答えは何ですか」と問うと、ラビは「もし、あなたがタルムードを勉強したらこういう答えを出すだろう」と言い、「顔の汚い子はきれいな子の顔を見て自分の顔はきれいだと思い、きれいな顔の子は汚い顔の男の子を見て自分も汚いと思って洗うだろう」と。

男は「わかりました」と言い、「もう一度テストしてください」と頼んだ。するとラビはまた同じ質問をした。男はきれいな顔をした子が顔を洗うと答えたが、ラビはまた男にはタルムードを勉強する資格はないと言った。

答えを求める男にラビは、「二人の男の子が煙突を掃除しているならば、同じ煙突を掃除しているのだから、片方がきれいで片方が汚い顔をして降りてくることはありえない」と答えた。

このような話が幾つも載っている。こういった類の話ばかりでなく、格言的なものや正しい行いは何かを逸話で語っているものもある。私としては少しひねったとんちのようなものを楽しんで読んでいる。図書館で借りた本があるのに、それを放っておいてだが。

ミシナ(MISHNA)

昨日取り上げたタルムードだが、続きを読んでいくとこんな言葉があった。「タルムードの中の逸話や格言は読んでも意味がない。頭を使って考えるところにタルムードの教えははじめて生かされてくる」。

全部読み終えた今、ミシナ(MISHNA)と呼ばれるユダヤの古い教え、古い約束ごとなどが口伝で伝えられた部分に対しての何千年にもわたる議論の積み重ね、その歴史こそタルムードの特殊性ではないかと思えてくる。

 

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