夢想と妄想と幻想

記入日:2003/11/06

新聞の広告欄にある女性週刊誌の見出しのある単語に目を奪われた。その単語はゴシックロリータ。なんと言うか、新聞紙面に出そうにない文字だとばかり思っていた。何故、そんな言葉が載っているかというと、例の「親が邪魔になった」で殺害を計画した女子高生の趣味(?)だからだ。

ゴシックロリータと親憎悪の相関といった見出しだったので、例のごとくまた趣味と犯在者を結びつけて、これをやっている奴は危ない的に煽るのだろうかと思わずにはいられなかった。事件の分析による再発防止という大義名分でその記事を書いているのかは知らないが、また適当に悪者を決めて叩いて終わりにするイメージが拭えない。

ニュースステーションの方では彼女が書いた文章を読み上げていた。「薄っぺらな世の中」「幸せという幻想」といった言葉に、思わず社会人への準備期間に過ぎない高校生、それも16歳で世の中の何がわかったというのだ、と思わずにはいられなかった。そう言ったところで、社会での経験値が不足している人には届きづらいのだろうが。

だが、まぁ他の文章も読んでいるうちに、若い頃にありがちな単なる陶酔の世界での話しなんだろうなという気がしてきた。幻想や贖罪、欺瞞に満ちた世界、約束の場所といった日常で使わない言葉を使い、月名(今月で言えば霜月)や古くて雅な響きの言葉をペンネームに使って浸っている、思春期のナルシズム(精神科の医者が書いた本で見つけた言葉だが)ではないかと思えてならない。

とかく、若いうちは現実と空想の違いをはっきりと認識できない場合がある……と書くと偉そうで嫌な感じだが、次のように思うことがよくあるんじゃないということである。「幼稚だと思われるかもしれないけど、こういうときにルーラ(ドラクエの一度行ったところに行く魔法)が使えればいいなぁ」。これは高校のとき、同級生が帰りの電車が来ないときに言った言葉だが、そう思う気持ちは私にもあった。

私も小学校の頃に「かめはめは(ドラゴンボールの技)」を打とうとしたことがある。彼女らのあれは、その幻想が若干知的さと悲劇性を帯びたものに過ぎない気がする。悲劇を気取るのは日常に満たされない人の特権だが、無論行き過ぎなのは言うまでもない。ああ、間違っても犯罪行為を擁護する文章ではないですからね、これは。軽く事件を分析する真似事をしてみただけです。

 

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