不耕起栽培

記入日:2003/11/18

東京のホテルで見たNHKの番組が忘れられない。それは「耕さない田んぼが環境を変える」と題した不耕起栽培の番組である。不耕起栽培とは文字通り田んぼを一切耕さない栽培方法である。耕さない田んぼには前年の稲株やわらが残っているため、そのわらに微生物や藻類がわき、それらをえさに小動物が増え、昆虫や鳥がやって来て生態系を作りあげるのだという。

無論、問題もある。番組内でも不耕起栽培にして収穫量が減った、農薬を使っていないので雑草が生え放題など、大変な面もかなり目についた。一方で、耕した田と耕さない田の稲の根を見比べると、耕さない方の太さに驚くばかりである。元々、稲だって自然に生えていた植物である。人間が手を加えなくても育つ潜在能力は秘めている。植物も人間と同じで厳しくされれば強くもなるのだ。

とは言っても、いきなり全てを不耕起栽培にしたら、農家も生計が立てられなくなるだろう。特に不耕起栽培にしたばかりの年は。だが、提唱者は言う。石油資源が枯渇してしまえば、農薬を使うことも耕耘機を使うことも出来ないと(別の動力になるという可能性はおいておいて)。それに比べ、不耕起栽培は自然循環によって田んぼが耕される。人が耕さずとも、ミミズなどが耕してくれるのだ。

ただ、不耕起栽培さえすれば微生物が耕してくれるのではない。それには冬季湛水が必要である。冬になると田んぼは水を抜くのが一般的だが、その水をはったままにするのが冬季湛水だ。そうすると、昔理科の実験で見たアオミドロが田んぼに浮き、水を浄化し始める。ずっとそこに水があることで生物は住み続けられるのだ。日本は資源の乏しい国だと言うが、水の量においては恵まれている部類に入るという。農業に関心を寄せると、水は最大の資源だと思わずにはいられない。

しかし、不耕起栽培を叫ぶ以前の問題もあるのではないだろうか。それは都市部などでは米の作り方も知らない人が増えているのではないか、というものである。それでは、いくらこの話をしたところで、ピンと来ないのではないだろうか。不耕起栽培の米を選び、環境に配慮する農家の手助けをと呼びかける前にまず、今行われている農法から説明した方がいいのかもしれない。

目薬の使い方

この間目薬の使い方の間違いに気づいた。特に何かに気をつけることなく使用していたのだが、久しぶりに説明書を読んだら「容器先にまぶたやまつ毛が触れると、目やにや雑菌などのため、薬液が汚染または混濁することがありますので注意してください」とあった。

もうほとんど使った目薬を見てみると妙なものが浮かんでいた。しかし、気をつけようと思っても、いざやっているとどうも触れてしまいがちだ。いやはや、困ったものだ。そういえば、口を開けた方が目薬が差しやすいと聞いたことがある。

 

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