ターバンを巻いた男性

記入日:2003/12/13

東京行きの新幹線の中、ターバンを巻いた男性に会った。中東系の顔立ちをした方だったが、車掌に独特な日本語で大阪に行きたい旨を話していたが切符がないようだった。購入手続はしているが切符を取りに行かなかったようなことを言っていた気がする(送られてくると思っていた?)。

彼は私の近くに座っていたが、「携帯電話はデッキのほうで」とアナウンスされても、平然と電話で話し続けていた。明らかに英語ではない外国語で話していた。たぶん、アラビア語というやつだろう(ペルシア語とかヘブライ語とか、そのへんの区別さえ私はよくわからないが、聞いているとあの蛇ののたうち回るような字を思い出す)。

何というか、頭で考えるよりも先に、時期が時期だけにそういう彼がいるとあらぬ想像をしてしまう。そういう人が何故ここから乗るのだという疑問をよそに。おまけに、山手線に乗っていて、大きな荷物を持って乗ってきた男性が、その荷物を置いたまま降りたことに気づいた後も、よからぬ想像を巡らせてしまった。どうも私は心配性らしい。

東京に着いたら着いたで、スポーツ紙の「広末、妊娠」に驚かされた。前に出張で行っていた頃からだが、私が東京に出掛けると驚くニュースがよく飛び込んでくる。その最たるものとして今回、家に帰ったら帰ったで「フセイン元大統領を拘束 故郷ティクリート近郊で」である。なんだかもう、ジンクスのようなものになりつつある。

余談だが、電車内で流れるニュースで気になったのがあった。「命に別状はない」の別状が別条になっていた。その字でもいいのかと思って調べたところ、【別条】ほかとかわった事柄。普通と違った事柄。「―なく毎日を過ごす」【別状】普通と違った様子。かわったありさま。「命に―はない」とあった

Ultima Ratio

イラク派遣でテロ警戒ですか……。私がテロという言葉を初めて聞いたのはアニメ映画でした。ある夏の日、冷房の効きすぎた映画館で見たその映画に、背筋が寒くなるような感覚を味わったのを覚えている。同時にそれまで感じたことのない興奮も。

それが「PATLABOR2」だった。あれから十年近く経った今、再び見てみたが古さは感じなかった。相も変わらずリアリティと重苦しさがそこにあった。「不正義の平和だろうと、正義の戦争よりよほどマシさ」今も忘れぬその台詞が、あの作品が私に与えた影響の大きさを思い出させる。

そして、今でも所詮戦争はモニター越しの世界、遠い国の出来事でしかないという感覚から逃れられない自分が居る。

 

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