ゴミ拾いによる治安向上

記入日:2004/04/24

早朝、ゴミ出しついでにゴミ拾いをする。ゴミ捨て場に行くまでの間に落ちているゴミを拾うのだ。ゴミの多くはタバコの吸い殻であり、数量的には多いが質量的には少ないのでゴミ袋の余ったスペースに十分入る。私がこんなことをしているのは街の美化に貢献したいとか、いい人に見られたいとか、悪いことをした罪滅ぼしにといった理由があってのことではない(多少は家の周りが汚いのは嫌だなぁ~という気持ちはあるが)。

目的は街のゴミ拾いによるWindow broken理論(確かこんな名前)の実践である。先の理論は平たく言えば、窓が壊れている場所では、壊れていないところよりも犯罪が起こりやすいというものだ。正確にはもっと違うのだが、まぁ汚いところでは汚いことが起こるということに違いはない。

これは以前、特命リサーチで紹介されたもので、そのときはニューヨーク市警が地下鉄の犯罪を減らすために、地下鉄の落書き消しを行ったら犯罪件数が減ったという事例とともに放送された。他の事例として、ある人通りの多い場所に壊れていない車を放置しておいたところ、何日経っても街の人は車に何もしなかったが、車の窓を壊すと、車をさらに壊したり部品を持って行ったりする人が現れたというものも紹介された。

つまり、落書きのない地下鉄や壊れていない車は、それを誰かが管理しているものだという印象を与え、そのものに対して勝手なことはできないという判断に繋がる。逆に落書きされていたり、窓が壊れていたりすると、管理されていないという判断の元、好き勝手な行動をしだすというのである。森の中で葉が目立たないように、多くの悪さの中では小さな悪も目立たない、そこで他の人もやっているからやっちゃえ的になってしまうのだ。その些細な悪い行動は「もう少し悪いことをしても大丈夫」という考えに移行し、犯罪の凶悪さは増していくのだという。

窃盗・万引き・キセル乗車といった軽犯罪を防ぐことが、殺人・誘拐といった重犯罪の抑止に繋がるのだと理論の提唱者は言っていた。つまり、私のゴミ拾いは自分の家の周りにおける治安をよくするための行為なのである。ここだけ聞くと、嘘くさいが……。そして、現時点の目標は近所の駐車禁止区域に無断でとめている、けたたましい音を上げるマフラーをつけたバイクが、もうここにとめなくなるようになることである(不可能に近いけど)。

それはそうと、北朝鮮で大事故がありましたね。各国から同情的なコメントと援助の話があがっているけども、この一件で味を占めたら、彼の男は援助目的にわざと事故を起こしたりはしないだろうかという懸念を抱いてしまった。なんて言ったって彼は餓死しそうな自国民の映像をわざと他国に流し、救援物資を受け取っては餓死しそうな民にではなく別のところにやっていた人だもの。

ゴミ拾い、その後

前に『ゴミ拾いによる治安向上』と題して、ゴミの日のゴミ拾いについて書いた。今日はその後日談について書く。今現在、あのバイクはもう駐車しなくなりました……といっても私の功績ではない。バイクがなくなったのは駐車場所(駐車禁止区域)になっていたところに、ビニールテープを張り巡らせた地域住民の策が功を奏したのであって私は何ら関係ない。

相変わらず、ゴミは拾えど簡単に捨てられる。綺麗になったかと思えば、また汚くなっているの繰り返しである。でもまぁ、半ば趣味でやっているのだから、そんなに憤りを感じているわけではない。ゴミ拾いと言っても、家からゴミ捨て場までのたかだか数十メートルの距離だし。ただ、幾分タバコの吸い殻が減った気がする。

 

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