青春の門 挑戦篇(上)

記入日:2004/05/05

「青春の門 挑戦篇(上)<五木寛之著>」を読んだ。このシリーズは再起篇まで買って読んだのだが、挑戦篇は買おうにも絶版扱いになっているらしく、本屋で注文できなかったので図書館で借りて読むしかなかった。下巻は実家の方の図書館にあったので読んだが、上巻はなかったのでまだ読んでいなかった。

先に下巻を読んだことで、楽しさ半減かと思いきや、すっかり下巻の内容を忘れていたのでふつうに楽しめた。五木氏の作品は結構な数を読んでいるが、やはりこのシリーズが代表作のような気がするし、私自身一番愛着のようなものがある。今となっては、氏の作品といえば、生き方について書かれたエッセイが先に思い浮かぶだろうが。

著者の文章は飾りっ気がない。悪く言えば味気なく、遠回しな表現は少ない。そんな彼の文章は、読書家ではない私にとって読みやすいため、好きな作家の部類に入っている(最近の作品に興味はないが)。文章以外の面で好きなところは、作品内に出てくる知識(蘊蓄)だろうか。

さて、本の感想だが、読んでいて気になったというか、注目していたのはストーリーもそうだが、何より「何故絶版になったのか」=「何かまずいことでも書かれているのか」という点である。一読したところ、今までのシリーズになかったものといえば、エスペラント語くらいだ。

その扱いがまずかったのだろうかなどと想像してはみるが、納得のいくような仮説も思い浮かばない。ホント、誰か知っていたら教えてほしい。肝心のストーリーの方は、平たく言えば主人公が知り合いの遺骨を納めに行く話である。

無論、ただ行っただけで済みはしない。もし、それで終わったらお話(小説)にならない。その展開は氏らしいというか、自由に転がる石ころのように転がっていく。どの辺がおもしろいのかという説明が困難な話でもあると私は思っている。

エスペラント【Esperanto】

「希望する人」の意

ザメンホフの創案になる人工の国際語。ロマンス語・ゲルマン語・スラヴ語などから国際共通性の高い単語を採ったもので、字母は二八、その基礎単語数は一九○○に止まるが、造語法もあり、文法的構造はきわめて簡単。一八八七年に公表され、一九○六年(明治三九)わが国にも日本エスペラント協会ができた。第二次大戦前や戦中には弾圧もあった。

 

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