歴史的正確性の追求

記入日:2004/05/24

NHKの歴史番組「その時歴史が動いた」について、歴史専攻の人の意見を聞いた。どうも、そっち系の人には評判が悪いらしい。たとえば、この間の「本能寺の変、信長殺害の黒幕に新説」である。その人が言うには、全然新説ではないらしく、ずっと前から偏屈な爺さんが主張し続けていたそうだ。

そういった「自分たち(TV局側)が今知ったから新説」といったものが解せないとのことだった。まぁ、その爺さんの主張が学術的な意見として取り扱われるほど、「説」として認められていなかったという見方もあると思うのだが……詳しいところは知らない。結局のところ、今回の件で言えば物的新証拠が出たことで「説」といて信憑性を持ち、その記念でやったのだろうけど、「新説」と主張するのは過剰な演出だった、ということなのかもしれない。

どちらにしろ、その分野を深く掘り下げている人にとって、大衆向けに作られたその分野の番組はつまらないだろう(歴史の場合は正確性云々が重要だが)。逆に、あまり歴史を深く掘り下げたことのない私にとっては、楽しめるわけだが、問題はやはり正確性になるのだろうか。

歴史物というのは難しい。今やっている新撰組の時代考証もかなり問題になっているが、歴史的正確性の追求の果てにドラマとしておもしろくなくなったら、それはそれでドラマとして問題がある。その辺の折り合いを何処でつけるかが、歴史物を取り扱うときの難しさではないだろうか。また、そのおもしろさも歴史好きの人には正確さがおもしろさになったり、文学好きの人にはその歴史資料から匂い立つロマンに向けられ、多少の「味付け」もよしとなったりするところが難しいわけだが……。

 

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