嫌いと苦手の間に

記入日:2004/06/16

ちょっとした打ち合わせに出た。ある組織のようなものの運営に新たに携わりたい人と、今現在携わっている人の顔合わせのようなものだった。そこで、新たに加わろうと思っていた人の中に知り合いがいたのだが、その人が苦手な人が加わりそうだという理由で辞退しようとしていた。

私も正直、その人が加わることはあまり好ましく思っていない。その人は何でもキッチリとやらなければ気が済まないタイプであり、完璧主義的というか潔癖な姿勢を他人にも求める質の人だ。何処か人を見下したというか、他人も自分と同じ価値観で動いていると思いがちの人でもある。そういう人だからこそ、一緒にはあまりいたくないと思っても不思議ではない。

しかし、私はあくまでその人を評するときには「苦手」という言い方を使うが、辞退しようとした人(女性)は「嫌い」という言葉を使った。つい先日までは仲がよかったように見えていたのに……である。それは私の観察力の甘さなのかも知れないが、数日のうちに「嫌い」にたどり着いた女性の心変わりの早さのようなものも感じる。私など、「嫌い」という感情を育てるまでにはある程度の時間と出来事が必要で、なかなか生理的な部分だけで「嫌い」にはならないのだが……。

極論の間に

火曜に引き続き、偶然仕事帰りの電車が一緒になった職場の人に(といってもあまり話したことがない)ごちそうになった。ごちそうになったといっても、ミルクティー一杯である。ミルクティーを飲みながら近所のカフェで語り合った。その人とは初めてまともに話したのだが、やはり人は話してみないとわからない部分がたくさんあるなと思った。

見た目だけではわからない、他の人の人物評だけではわからない、そう思えるところが多々あった。同時に、誰かを知るときに、その対象者の側にいる人、いわば当事者の他に、一歩引いたところから見ている立場の人の意見を聞いて、その差を埋めながら見ることが大事な気がした。それはひとつの問題を直視する際に、相反する二つの意見を見比べることで、より問題の本質に迫れるようなものである。

 

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