七夕の願い事

記入日:2004/07/06

明日は七夕である。一週間ぐらい前から、各所で短冊を見るようになった。願い事に目を向けてみると、「志望校に合格しますように」、「今年こそは結婚できますように」といった定番的なものから、「ブッシュと小泉とシャロンが死にますように」という時事的なものまであった。

シャロン首相が入っているのが味噌である。暴力的なものを憎むのであれば、何故ビンラディンが入らないのか疑問である。前々から思うのだが、ブッシュ批判をする人の中には、自爆テロはアメリカが悪いから起きている的なとらえ方をし、何があってもアラブ系を被害者として見る人がいる。ああ思えるのは何故なんだろう? ちょっと理解に苦しむ。

話が逸れた。今日の話題は七夕。天の川の両岸にある牽牛星と織女星とが年に一度相会するという、七月七日夜、星を祭る年中行事である。この七夕、辞書によれば『中国伝来の乞巧奠の風習とわが国の神を待つ「たなばたつめ」の信仰とが習合したものであろう。奈良時代から行われ、江戸時代には民間にも広がった。庭前に供物をし、葉竹を立て、五色の短冊に歌や字を書いて飾りつけ、書道や裁縫の上達を祈る。七夕祭。銀河祭。星祭』とある。

なるほど、言われてみると短冊は五色だった気がする。しかし、もともとは歌を書いていたと言うのだから、今は随分と俗っぽくなったものだと思う。たまには、古の時代に思いをはせて風流な詩を綴るのも一興ではないだろうか。とはいえ、私には書く機会がないのだが……。

様々な願い事を見たが、最近見た中で一番痛々しかったものは「横浜ベイスターズが優勝しますように」である。無理だろう……と言いたくて仕方ないが、その短冊があったのが竹橋というのがまた悲しい。しかしまぁ、書けば叶うんじゃないかと思って書く人はいないだろう。神社の絵馬ほど怨念、もといせっぱ詰まった思いがこもっていない分、気楽な行事だと言える。

そもそも、七夕の願い事って誰が叶えることになっているのだろうか? クリスマスプレゼントはサンタクロース、神社でのお願いは神様、お寺でのお願いは仏様、教会でのお願いは主……。そういった存在が七夕では思い浮かばない。誰に頼んでいるのかわからないのだから、願いが叶わなくても恨みようがない。故に気楽な行事となり得たのかもしれない。

もし、願いを叶える神がいたとして、願い事を叶えてあげられなかったとしても、七夕の場合は問題がない。五色の七夕にちなんで、書かれたその願い事は「誤植」だったに違いないと無視するのだ(ちょっと無理があるなぁ)。ちなみに、私の願いは「みんなの願い事が叶いませんように」だ。この願い事は決して叶うことはない。

なぜなら、「みんな」には「私」も含まれるから、「私」の願いが叶うということは「みんな」ではなくなるので叶わないことになる。逆に、「私」も含めてすべての人の願いが叶わなかったとしたら、「私」の願いが叶うことになるので「みんな」ではなくなる。何とも矛盾に満ちた願い事である。

 

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