東京で見る水曜どうでしょう

記入日:2004/07/29

この間、友人から「三時頃から水曜どうでしょうがやってるよ」、「新しい企画が始まったよ」と聞いて、「おお、それは観なくては」と、わざわざ三時半に目覚ましをセットしていったん眠り、その微妙な時間に起きて観ることにした。

しかし、起きられなかった。起きたのは三時四十分を過ぎた後だった。いつものクセで、目覚ましが鳴ってから十数分経たないと起きられなかった。起きた後、慌ててテレビをつけてみると、そこには懐かしい面子が懐かしい場所にいた。

今回の企画はジャングル・リベンジ。6年前に訪れたブンブン・ブラウに再チャレンジする企画で、彼らはジャングルをバックにいつもの馬鹿話を繰り広げていた。何だか、とっても懐かしく、XXにいた頃を思い出さずにはいられなかった。

あの頃は、水曜日の夜に彼らを観るのが楽しみだった。不本意な仕事をして帰ってきて、疲れた体と頭を癒すために、彼らの馬鹿話に耳を傾けたものだった。それを今、東京の金曜午前三時半(正確には三時三十二分、木曜の番組表に書いているので木曜の日記として扱っています)に彼らを観ようとは……。XXにいた頃には想像もしていない状態に自分が今あることに少し驚きを感じる。

まぁ、そんなこんなで十数分ほど彼らを観たわけだが、実際この時間に起きてみて思うのは、何でこんな時間に放送しているんだということである。そりゃ~まぁ~、ローカル番組をゴールデンタイムや深夜の激戦区に流せとは言えないけども、もう少し見やすい時間はないものかと思えてならない。何時に放送しようと、ビデオにでも撮ればいい話なのだろうが、あいにく家にはビデオデッキなどの録画機能を持ったものは何一つない。

次は再来週の午前三時過ぎか……。ちゃんと起きられるだろうか、それが心配だ。

イケてるという言葉

久々に「イケている」という言葉を聞いた。正直、頭の悪そうな若者の響きを感じて、あまり好きな言葉ではない。それを、よもや自分より年上とおぼしき人の口から出るのを聞くことになるとは……。それは大学の教授に対して使われたのだが、教授を「イケているか」「イケていないか」で見る感性の若さのようなものに、気持ち的に引くところを覚えずにはいられなかった。

よく漢字の書き順が違う人を見ると妙に納得できない、その人を認めたくない(全人格を否定するかのような)気持ちが働くように、言葉遣いにも抵抗感が存在する。その言葉一つで、その人に対するイメージが結構変わるのものだ。というか、自分の不必要な細かさと好感というものがいかに変わりやすいかを思い知った気がする。

新しいやかん

やかんを買い換えた。前のやかんは近所の店で980円くらいで買ったもので、お湯が沸くとピィーーッと音が鳴った。だが、その音が鳴る部分が溶けてしまい、お湯を注ぐときに溶けたものが流れ出さないか心配だった。そして昨日、その部分が壊れて取れてしまった。

で、今日買い換えたわけである。東急ハンズまでやかんを買いに行ったのだが、思った以上に種類があって驚いた。何より、値段が高くて驚いた。見た目的にはコーヒー用のやかんがいいのだが、やかんに5000円も出せないので1000円強のものを買った。今度のは沸騰しても音が鳴らないものの、プラスチックが使われているところがないので、前のように溶け出す心配はない。

それ以外の部分では特に期待もしていなかったのだが、いざ使ってみると肌触りや使いやすさに少し感動した。たかだかやかんでも、ちょっとした作りの違いにここまで使用感が違うのかと思った。職人技を感じるほど素晴らしいやかんでもないが、どんな些細なものにでも「技」が息づくところがあるんだなぁ~と思った次第である。

 

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