足元の恋愛

記入日:2004/08/12

久々に靴を買った。これで「2003/11/29.30 晴れの日専用」に書いた靴ともオサラバである。ただ、今回買ったのも前と同じ『HUSH PUPIEES』である。あの耳のたれた犬がトレードマークの靴である(押井犬とか言うなよ、押井映画マニアの人)。

ここの靴を買い続けているのは惰性に近いものがある。最初にここのを買ったのは、いや買って貰ったのはもう6年近く前になるのだろうか、それは当時付き合っていた彼女からのクリスマスプレゼントだった。プレゼントと言っても、私が品物を確かめてから購入するという経緯を辿っている。まぁ、彼女に贈った指輪も、彼女がこれがいいと言って買った物なので、プレゼントを開ける楽しみはないが合理的といえば合理的な買い方である(お互い薄給の社会人だったし)。ちなみに、靴と指輪では指輪の方が高かった(いちいち書くところがいやらしい)。

別に買い続けているからといって、彼女を思い続けているわけではない。いや、それどころか付き合っている当時から、まったく恋愛感情を抱いていなかった。彼女だけではない、社会人になってから付き合った女性達はみんなそうだった。まぁ、そんなことはどうでもいい。とにかく、そこの靴を買い続けているのだ。たぶんそれは、シンプルなデザインが気に入っているからだろう。あとは、何となくってやつだ。

最初に買ったのは1年半くらい履いただろうか。そのくらいでだいぶ薄汚くなったのと、壊れてきたので買い換えた(手入れしないからね)。その後買ったのはやや重めのものだった。それは今も健在だが、重みが嫌になってきたので実家に置いてある。三足目に買い換えたのは札幌にいるときだった。二足目が古びてきたのと、気分転換もあって買い換えた。三足目は非常に軽いが、雨が染み込みやすいのが難点だった。それは今も履いてはいるが、これも結構あちこちすり切れてきたので買い換えることにした。

そして、四足目は二足目と三足目の中間に位置するような靴である。ただ、今まで買ってきた靴とは違い、紐で結ぶタイプの靴である。今までずっと、紐を結ぶのが面倒なので、紐がないものを選び続けてきた。もしかしたら、それが同社を選ぶ最大の理由だったのかもしれない。しかし、今日は何故か紐のものを選んでしまった。新宿三越のセール(秋の改装に向けての売り出し 8/31まで)で普段より安く売っていたので気軽に手を出せたこともあるが、靴に付いていた「はっ水加工」の文字にやられたのだ。はっ水といっても完全なものではないし、永久的なものでもない。それでも手が出てしまうほど、前の靴の雨に対する抵抗性のなさは痛かった。

たかが靴によくもこれだけ文章をと思う人がいるかもしれない。しかし、どんな靴を選ぶかというのは大きな事だ。成長期の靴選びを間違えば足が大きくならなかったり、奇形になってしまったりする恐れもある(敢えて、小さな足にするために小さい靴を履かせる場合もある。中国では纏足と呼ばれる小さな足にするための風習があった)。本当ならば自分の足にあった靴を作ってもらうのが一番いいだろうが、コストの面でそうはいかない。でも、フェラガモの靴へのこだわりを聞いた後には、そのコストすら正統な代価だと思えてくる。また、ファッションの面から見ても重要である。とはいっても、あまりそっちには明るくないので詳しく書くのはよそう。

一方で、こんな話もある。「性行為の経験者は足元にも注意を払うが、そうでない人は払わない」と。かなり主観が入った意見ではあるが、足元というあまり目がいかない場所まで意識を向けるというのは、ある種「異性の視線」への意識が高くなくては出来ないような気がしないでもない。普段見せない下着のおしゃれを、一度も誰かに下着姿を見せたことがない人がするよりは、何度か見せた人の方がするような気がするようなものだ。

何だか話が下ネタにずれてきたが、靴の買い換えと昔の彼女の話、目がいかないところのおしゃれと来て、私が何を最後に言うか想像が付くだろうか? 私はずっと紐付きを買わなかったのに買った。その無意識の選択に(はっ水加工もあるにはあるが)、紐という結ぶものに別のものを連想したのだ。そう、縁結び……。決して交わることがなかった心を結べる相手に出会えたなら、そんな期待を無意識の選択に感じてちょっと気恥ずかしい……。/p>

肩が痛い

何とか自宅には帰って来れたものの、客人をベッドに寝かせたので、座椅子を倒して一時間程度の仮眠を取った。そのせいだろうか、前々から痛かった右肩の痛みが増した。この痛みは数日前に起きたときから続くもので、主に肩を少しでも上げると鈍い痛みが走る。サロンパスを貼ってみたが、どうも効果がないようだ。いったい、どうしたものやら……。

まぁ、そんなことはいいとして今日は久々の雨と低い気温だった。この寒さの中、傘を持たない客人を雨の中帰したことにばつの悪い思いをしている。傘は貸すと言ったのだが、貸せる傘がビニール傘のようなものじゃないのでと断られたので、そのまま見送ったのだが、今から思うと近くの地下鉄まで傘を差して見送ればよかったと後悔している。

ナベツネ、辞任

「ナベツネ、辞任」というニュースに驚くと同時に少なからず喜びのようなものを感じた。プロ野球再編で揺れる最中、よもやこんな形で最大の影響力のある人物が影に追いやられようとは思いにもよらなかった(まぁ、どうなるかはわからないが影響力は減少するだろう)。ただ、「まさかあの人がこんなことをしていたなんて」という意外性はなかった。というか、表沙汰になってはいないものの、球界における金のやりとりはあって当たり前と誰もが思っていただろう。

ついでに言うなら、読売の会長自体は辞めないというのを聞くと、野球界のゴタゴタが面倒になったので自ら暴露して撤退した、また別の目的があって辞めた気がしないでもない。そう思うのは、どことなく、小沢氏の年金未納公表を連想してしまったからだ。あれは加入任意時代に未加入だったというのを公表し、代表を辞退するという責任の取り方をすることで、同じ加入任意時代に未加入だった小泉総理の立場を悪くする(小沢は辞めた、何故小泉は辞めないという風潮を作り出す)という側面があったと言われている。

今回で言うなら、契約金やそれに準じるお金を渡していた責任を取っての辞任であり、それにより同じように不正な金を受け取って入ってきた選手に対して「正義面するな。貴様らも汚いことをしているだろう」という追いつめを図ったもののようにも思える。そのターゲットの筆頭にあげられるのは選手会の古田だろう。もしかしたら、それに関して何かつかんだから自ら公表し、オーナー達のみならず選手への不信が募ったところでヤツは登場し、言いたいことを言う予定なのではないだろうか。ただ、渡辺オーナーに関して別の情報、警察沙汰になるような情報をつかんでいたからこそ突っ込んだ、これはまだ氷山の一角をつついたばかりで、大きなものがこれから出てくるのではないかとという憶測も飛び交っている。

彼に関する批判的な見解は各所で書かれているので今更書くまでもない。私個人としても好きになれそうな人物ではない。だが敢えて、彼の功績を斜めから見てみよう。なんと言っても、彼がいたおかげでアンチ巨人に走った野球ファンは少なくないだろう。あのコンチクショーの球団が負ける姿が観たい、優勝できなくて悔しがるコンチクショーの姿が観たい、その怨念にも似た熱情が野球を別の意味で熱くさせていたのかもしれない。

 

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