Cの道

記入日:2004/10/16

前から興味はあるが、手を出さずに来てしまったものがある。そのひとつがプログラミングであり、もうひとつがwindows以外のOSである。その両方に接する機会が今日あった。某大学理工学部で行っているUNIX入門講座とCプログラミング入門講座を一気に受けたのだ。

入門と言うだけあって、UNIXは基本動作程度。プログラミングは初歩的なものだけ扱った。とはいえ、初めて見て触るものにとっては、新鮮さと理解できるかどうかの不安があった。ただ、前にいた会社でプログラマーが作ったプログラムの中で、指定した動きをさせるために組んでいたスクリプトが、今日習ったことと共通点が多かったのでわりとすんなり入れた気がする。

しかしまぁ、なんだ。朝っぱらから夕方までぶっ通しでやっていると、午後には集中力も切れてきて眠くなった。講座が終わったら終わったで、もうひとつの授業が控えているのだから堪らない(言うほど辛くはないが)。だが、何より、ある意味において堪らなかったのは、UNIX入門の講師が友人だったことだ。理工学部で助手をしているとは聞いていたが、まさかこんなかたちで会おうとは思いにもよらなかった。

何て言うか、こう着実に出世の階段をというか、自分の進むべき道を一歩一歩登っている同年代の人を見ると、積み上げてきたキャリアの世界で生きることを捨て、新たな道への第一歩の準備に取りかかった我が身の不甲斐なさを痛感せざるを得ない。それを覚悟で一度 何もかも捨てたのだが。

飲み会での会話にて

この憂鬱感は何だろう。言えない過去に触れてしまったせいか? それで相手の見方が変わる不安か? いや、あの程度、どうつっこまれようがかわすことは容易だ。この鬱々とした気持ちは「パソコンに詳しいですね」と言われたくて、そっち方面の話をし続けた自分への憤り、くだらない自尊心への蔑みだ。もっと率直に言えば呆れだ。

前にいた会社と近い業界の人、どちらかと言えば私がいた分野よりも上級的立場で頑張る人と話し、この人は素人ではないな、同じ業界の人じゃないかと思われたかった。捨て去った過去を誰かに注目して欲しかったのだ、今の自分はたいしたように見えないかもしれないが、いや見えないからこそ過去はある意味そんじょそこらの人間にはたどり着けぬ世界だったと、貴重な体験をしたのだと思って欲しかったのだ。何もかも、くだらない願望だ。

 

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