知の時間

記入日:2004/10/19

カンボジアのシアヌーク殿下が退位する話をちらほら見かける。彼の名はノロドム・シアヌークとなっているが、このノロドムは名前ではなく名字である。東南アジアの国の中には日本と同じようにファミリーネームが先に来るところがある。そのことを知ったのは数ヶ月ほど前のことだった。

ついでに、このノロドムというのが1863年にカンボジアがフランスと保護条約を結んだときの王、ノロドム王から続く家系の名であることを知ったのは今日である。もともと、カンボジアはベトナムやシャム(タイ)に挟まれ、この二国の両属関係にあった時期がある。このとき、それぞれの国が推した王がいて、更にフランスが推したノロドム王がいる。これがカンボジアの王家なのである。何とも悲惨な歴に彩られた王家ではないか。

知、ということで学術的話題をもう一つ。前にアメリカの心理学者で、統計を取って臨床心理士の治療に効果はないと言った人の話を書いたが、その人の名はR.Dawes。著書には「House of cards」(砂上の楼閣の意)がある。和訳されたものはないらしいので、私は読むことはないだろうが、もし読んだ人がいるなら感想を聞かせて欲しい。

夜、何気なくNHK教育のハングル講座を観た。チャンネルを合わせた途端目に入ったのが、「合コン」という言葉のハングル語だった。この回は合コンがテーマらしく、合コンでのやりとりを例文としていた。何とも実用的ではないか。きっと、ヨン様に憧れて韓国の事情も歴史もろくに知らないけれど、韓国人男性と親しくなろうとしているオバサマ方にとってこれ以上ない役に立つ回だったに違いない。

それはそうと、各地で熊の出没が話題になっている。山奥で育った私にとっては、近所の山で熊が出たなんてのはよく聞く話だった。滅多に出ないところで出たから大騒ぎしている、そんな気がしてならない。私の実家周辺なら、いつものことのように処理しているはずだ。まぁ、そんなことはいいとして、熊が出たから親と一緒に登下校とあったが、親がいたとしても熊と遭遇したらどうにもならないのではないのか? 親なら熊を何とか出来るとでも?

人は自分を他人にしたくて生きている

タイトルに深い意味はない。今日の講義で聞いた言葉をそのまま書いただけである。どんな講義でこの言葉を聞いたのか、どんな内容の講義だったのかは書かないが……。

今日は久々に腹一杯昼食を食べた。社食では月に二度、バイキングをやっているのだが、今日は中華のバイキングデーだった。あれもこれもと取っている内に思わぬ量になってしまった(それでも、スープ付きで500円<量り売り>)。全部平らげたのだが、しばらくの間はおなかが苦しかった。おかげで、晩飯は必要なかったのだが……。

 

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