「好き」を消費する

記入日:2005/11/23

寒くなると中華まんを食べたくなる。月曜は急に冷え込んだこともあって思わず買ってしまった。しかし、この中華まん。以前ほど好きではなくなってしまった。子どもの頃は80円が大金で、それを食い物で消費してしまうのは贅沢な使い方だった。

食べ物は食べればなくなる。家に帰れば、タダでお腹は満たすことができる(自分の財布の中身が減らないという意味でのタダ)。それなのに、一瞬の幸福感のためにお金を使うのかと、子どもながらに自問自答したものである。

それが今には簡単に手が出る。だから、前ほど好きでなくなったのかもしれない。でも、でもである。つまみの遍歴を見ると、食には飽きというものが如実に表れるのだと実感する。例として、私の酒の肴の遍歴を見てみる。

一時期までは100円ショップで売っている「いか天ぷら」というスナックだったが、その後は様々な種類のチーズを経て漬け物にかわり、100円ショップで売っている「わたりがに」の缶詰に移行し、それから近所の総菜屋で売っているハーフピザ(200円のパン?)、そして、1個100円前後の小さめのチーズとなった。

そのどれもが、その時々では一番旨いと思って喰っている。そのうち、一番ではなくなり、もういいやと思って買わなくなる。「好き」ではなくなったのだ。そう考えると、私は数多くの「好き」を消費してきたのだと言える。「好き」を消費する代わりに得る刹那の幸せ。食とはなんと悲しいものか。

安ものばかり喰ってるから、すぐに飽きが来るのだとも言えるのだが。

節約促進ビラ

「この便器は紙がつまりやすいので、たくさん流さないでください」。大学のトイレに貼ってあったビラである。この「紙がつまりやすい」というのがクセモノである。だったら、さっさとたくさん流せる便器に変えろと思うかもしれない。

だが違うのだ。「紙がつまりやすい」=「つまったら格好悪い」=「仕方ないから紙は節約しよう」となるのだ。つまり、紙を節約する文句に他ならないのだ(勝手に言っているだけです)。普通に「紙は大切な資源です。無駄遣いはやめましょう」と書いても、節約する人はそう多くはないだろう。

しかし、「紙がつまりやすい」と書けば、下手をしたら自分にとばっちりが来るので、使う側も節約する他ないという心理を巧みについた究極の一言なのである。素晴らしい、実に素晴らしい。そこまでして施設費を減らしたいんだな。ならば、その浮いた金で学費も下げよ。

伯父の誘い

伯父から飲みに行こうという誘いがあった。正直、あまり気乗りしないのだが、これも親戚付き合いかと承諾した。ただ、毎度彼女を連れてこいと言われるが、あの何かと絡みたがる伯父に紹介などできるわけがない。紹介した途端、私の株が急降下は目に見えているからだ。その辺をわかってほしいものである。まぁ、今のところは紹介する人もいないが。

 

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