宇宙からの帰還を読んで

記入日:2006/6/1

小学生の作文のようなタイトルだが、書く内容も小学生に毛の生えた程度なのでいいだろう。宇宙からの帰還は、中公文庫から出ている立花隆氏の著作である。平たく言えば、宇宙飛行士たちが宇宙から帰ってきた後に焦点を当てたインタビューものである。

結構古い本なのだが、今読んでも古い感じはしない。技術面の進歩はあるだろうが、そこに見るものとしての違和感はない、と書いて伝わるだろうか? まあいい、どうせ読んでいる人もいないだろうから続ける(そもそも、これは個人的なメモだ)。

出てくる宇宙飛行士はNASA絡みの人たちであり、旧ソ連の人は出てこない。宇宙飛行士と言っても、地球軌道上を飛んだだけの人から月面に着陸した人までいる。月面着陸と言うと、例の本当は月には行っていない派の人が色々言いそうである。真っ先に思い浮かぶのは、去年寄居の花火で会ったオッサンだ。あの人は慣性の法則がどんなものかもわかっていないような人だったが……。

無駄話を繰り返していても仕方ないので本題に入る。まず、意外だったのは前書の大半がキリスト教における神に割かれていることだ。改めて(当時の?)アメリカ人の信仰に驚かされる。決して、いい意味での驚きではない。中には宇宙に行って神に触れた的な発言をしている人もいる。

帰還直後はいろんな意味で管理されていたため、このような発言は出てこなかったようなことも書いていた気がする。日本人には胡散臭いものに感じる宗教や神絡みの話はおいておくとしても、宇宙から地球を眺めた人の多くは、地球上での争いごとはくだらない、自分たちはみな地球に帰属しているものだという認識を持っている。何にも精神的な変化がなかった人もいるにはいるが。

そのような内面的な変化からか、伝道師になった人もいるし、逆に俗っぽくなったのか政治家になった人もいる。多いのはやはり技術系の事業を興す人や、形だけの役員として名前を連ねることで企業のイメージアップ役を務める人だろうか。その後は様々であるが、宇宙での体験がその後の人生に大きく関与しているのだけは確かだろう。それほどまでに、宇宙に出るということは大きなことなのかもしれない。

ちょっと意外なその後といえば、ESPの研究所を作った飛行士がいるということだろうか。日本とは違って、アメリカなどでは超心理学的類のものが研究対象になっている。それ故に意外と言っても、それは日本人である私の目から見た場合に過ぎないのかもしれない。ただ、どうしてもESPと科学は相反するものに捉えてしまいがちである。そのことに関して、意外な人が意外なことを言っている。

これも前書を読んで知ったのだが、宇宙ロケットの父と呼ばれる旧ソ連のツィオルコフスキーはテレパシーの研究者で、彼はテレパシーの事例を自分で収集検討し、これは疑いもなく自然に存在する現象であるから、これを非科学的な超自然現象などといって科学の領域の外に押しやってしまう態度こそ非科学的であると批判したそうだ。

ESPカードの実験の正答率は、カードを5枚用いるので25%が普通である。にも関わらず、50%や75%といった事例があったという話である。一度や二度ならハズレ値と言ってもいいが、統計的に立証されたのだとしたら、と思わなくもないが研究して何かわかるものなのかという疑問は未だにある。「ESPが立証されました」の後に、それが市民レベルでどう役立つのかという話だ。

 

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