ツヒノスミカ

記入日:2007/2/10

ポレポレ東中野に映画を観に行った。観たのは日記のタイトルになっているものだ。長年住み慣れた家が取り壊され、息子夫婦と同居することになった老婆の物語である。概要は検索すればわかるので書かないが、実にまぁ淡々としたドキュメンタリーである。

これを観たいと思った理由は、おそらく劇場内にいた人たちとは違うものだろう。ちょっとした書いてみたい話の構想上、ゴミ屋敷の主の捨てられない心理と集める心理に繋がるものを見出そうとしたからだ。家が取り壊される、でも捨てられないゴミのようなものがある。そこに人の何があるのか。それを観たかったのだ。

結果からいえば、そういう期待を満たすような映画ではない。そういう期待をする方がおかしいのは充分わかっている。ただ、物が捨てられなくなる境界線を、何となくではあるが目にしたような気はする。それについて言及することは難しいが、それはきっと物自体の価値というより、その物と共有した時間に対する思い入れ、俗に言うところの「思い出」ってやつが、そうさせていることは想像に難くない。月並みな意見だが、実際そうなのだろう。

この捨てられない老婆を見ていて、意外に思ったことがひとつあった。彼女が集めた布切れを息子が捨てようとするとダメというのに、彼女の旦那が使っていたお銚子は平然と捨てようとし、息子が「ダメだよ、形見だろ」というのだ。てっきり、何でもかんでも老婆は捨ててはダメと言うかと思っていたに……。何だか、老いの深さと同時に、女の深さを垣間見たような気がした。

ちなみ、この老婆の息子は、最初こそ何でも捨てようとしていたが、後になると木の鍋ぶたを取っておこうと言い出す。それを某社の新聞では『捨てようとしていたはずの息子が、老婆と接するうちに何も捨てられなくなってくる』と書いていた。

私は息子の行動を老婆の影響を受けたものとして見ていなかっただけに、こういう見方をした人もいるのかと思ってしまった。私にはそう、息子が老婆の影響を受けて捨てなかったのではなく、息子自身にとって思い入れがあったから、捨てられなかったと思えていたのだ。

動員数

ちなみにこの映画、この手の物としては異例の3日で2千人を動員したヒット作である。この日は十数人しか観客がいなかったが、そのくらい観たらしいのだ……。十数人と言っても、始まったときは私以外に十人しかいなかった。その後、時間が経つに連れて少し増えたのだ。

映画は最初から観なくては気が済まない私としては、途中から入ってきても平気な人が不思議ではある(仮に私が途中から観たとしたら、上映中は観られなかったシーンが気になって仕方ないだろう)。

 

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