鈍感力(著:渡辺淳一)

記入日:2007/2/26

読む気はなかったのだが、職場のおばさんに進められて見ることにした。半ば押しつけ気味に貸されたので、一気に読むことにしたのだ。1,2時間あれば充分読み終えられるものだ。

感想を言えば、言いたいことはわかるけど、何でもかんでも鈍感力で都合良く言い過ぎってのが正直なところだ。突っ込もうと思えばいくらでもできる、それこそ穴だらけの新興宗教の教義を見るような気分だった。まぁ、渡辺淳一だからいいじゃんって思うところもあるけどね。

演技指導

夜、ぼんやりラジオを聴いていた。下ネタだらけのくだらない番組を聴いていたつもりが、今日は真面目なことをやっていた。元々が役者の卵的な子を育てる番組なのだから当たり前なのだが、ラジオドラマの作成の様子を流していた。そこにはメインパーソナリティーの演技指導なども入っていたわけだ。

卵達は台本を渡されると、悪い意味で自分のセリフだけを練習してくる。相手の演技はそっちのけにして、自分はこのセリフをこう話そうというのだけ作ってくるのだ。そのため、相手のセリフが終わると自分のセリフを言い、その後に相手がセリフを言って、またすぐ自分のセリフを言うの繰り返し。これでは、演技にはならない。「間」がないし、会話としておかしいのだ。

普通、会話とは相手のが何を話すのかわからないものである。台本には相手のセリフも書いているので、次に相手が何を言うかは演じて自身はわかっている。しかし、登場人物としてはわかっていないわけだ。相手のセリフを受けてリアクションを起こす。それによって初めて、そこに「状況」が再現されるのだ。この「状況」理解が素人には足りない。

「久しぶり」というセリフがあったとして、どれくらい「久しぶり」なのか。今、登場人物の気持ちはどこに向かっているのか、どこに注目しているのか、どんな気持ちでいるのかが感じられないと、やはり物語の世界には浸ることはできない。登場人物ではなく、演じている誰かを見ることになるのだ。

という演技的な話は興味深く聴いていた。同時に、指導が入る以前に何となくわかるところもあった。そのたび、卵達の指導後の変化のなさに、「長嶋一茂か、お前等は」と演技とは縁遠いところから役者になった人を連想せずにはいられなかった。まぁ、本当に演じることが好きで役者を目指す人は、この手の番組はでない気もしないではないが(役者よりも有名人になりたいだけという気がしてならない)。

で、そんな知的興奮もいつものくだらない話で冷めてしまった。高級レストランにジーンズ姿で4万円のステーキを食いに行き屁をこいた、そんな話だった。何というかまぁ、才能の豊かさと人格の高さはイコールではないのはわかってはいるが、もう少しねぇ~みたいに思えてしまった。そして、ステーキに4万払える身分に憧憬の年と、嫌な金の周り方をしている業界だなという気にさせられた。

 

ランダム・ピックアップ