新興宗教オモイデ教

記入日:2007/12/19

また大槻ケンヂの小説を読んだ。電波で人を発狂させる能力が登場する話であるが、どうも気になるのはヒロイン像である。グミ・チョコ~でも触れたが、こういう話のヒロインがこんなことを、という行為をしてくれる。冴えない教師と不倫、教祖様のペット化。なるほど、こう来たかとも思えてくる。

少年漫画に出てくるような特徴のない主人公がいて、その少年が密かに憧れている女子生徒が登場する。他とは違う存在、特別な存在と呼べるものが、低俗と思われる所に墜ちていく。このショックが主人公と、彼の目線で物語を読む読者を揺さぶる。その揺さぶられた状態のまま、物語は進んで、漂って、後は何処かに流れつくだけ。

電波で発狂という設定もオカルトで楽しいし、それを扱えるのがひとつの組織だけだと思っていたら、対抗する敵勢力が出て来てバトルというのも、ありがちではあるが楽しめるものである。勿論、それは外枠でしかないが……。とはいえ、やはり最初の揺さぶりから何もかもが始まっている気がするのだ。物語に引き込むショック、それが序盤に必要なものだと気付かせてくれる。まぁ、個人的な感想ではあるが。

NO 年賀状

年賀状という風習はもういい。出さなければ失礼ということで出すだけのものなのに、年末のクソ忙しいときにやらなくてはいけないときたものだ。おまけに、相手の住所が変わっていることもあったり、相手先で不幸があると出せなかったりと、チェックすべき事項が多くて厄介だ。

いっそ、一気にやめにしたらどうかと思う。『NO 年賀状』を掲げ、受け取らない&送らないなら、送る側としては作業が減って有り難い。年に一度の身辺報告の意味合いもある個人で出すのは別にしても、企業間のそれは経費がかかるだけにしか思えない。何かやるメリットがあるのか? そう本気で思う。何百枚もアドレス打ってると。

 

ランダム・ピックアップ