おばさんの推理

記入日:2003/10/08

「好き嫌いで政治を判断」「政策が見えてこない(見ていないだけ)」「討論番組は自分の意見を言うだけのところ、相手は話し合うためにではなく言い負かすためにいると思っている(それも有権者に強く出られない政治家相手に<故に政治家は有権者の知識不足をメディアの責任に>)」「政治はワイドショーの延長線上にある」。今日のアクセスの後半に出てきたおばさんのことである。

私もだいぶ慣れてきたのか、この手の人が出てきても前ほど苛立たなくなった。「ああ、またか」ってな感じになりつつある。そのなかで注目した言葉がある。「世の中はね、○○さんのようにお勉強だけやってきた人だけじゃないんです」(勉強ってやつを軽視してはいけない。人は自分が出来ないことは不要だと思いたがるが)。凄い台詞だな、これはと思った。

相手の人生をどれほど知っているのかと問いたくなるような言葉だが、この手の言葉は根性の悪い中年女性と接しているとよく出る。早い人で、30歳前後からこの兆候が出てくる。年下の男はほとんど坊や扱い、私はあなたよりも世間を知っているのよと思って話してくる……。そして、自分にはとっても魅力があると思っている。それも女としての……。

そのわりにあまり頭がよろしくない。論理的な思考が出来ず、感情ばかりが先走る。根拠は全て勘である。「私には人を見る目があるの」「私の予感はよく当たるのよ(実は十回に一回予感が当たっても、自分の予感は当たるという論理)」と言っている若い女性は、老いればそういうタイプになるのでは思っている(相手に合わせて推測だけで言ってみる)。

共通点は推理好きというか詮索好きである。うちの母が特にそうだ(母にしても、その女性は単なる出しゃばりと言っていたが)。「あの人はああではないか」と、その人の一面を見ただけで推測し、勝手にその人の人生を予想する(レベルの低いところでは、他人の家のゴミを見て食べているものを予想して楽しむ)。ワイドショー的な犯罪分析のようなに、西村某氏の時事ネタを題材にしたような小説の犯人分析のように。

たぶん、趣味なんだろう。そういうのが。子供がヒーローの真似をするように、推理することで推理ものの主役になっているつもりを楽しんでいるんだろう、なんてね。

ワイドショーという言葉が出ると、ついでに、よく小泉政権がワイドショー政治と言われたことを思い出す。そのおばさんが、小泉氏は「私のようなおばさんにも政治に興味を持たせた功績」というやつを訴えていたが、よく考えると功績なのかという疑問が残る。好き嫌いで政策まで判断する人が選挙で一票を投じることは、票の質を下げることにはなりはしないだろうか。まともな判断が出来ない人を政治に引き込むことは功績ではないのではないか。これが、ワイドショー政治の最大の問題なのかも知れない。

自分にとって「いい存在」か否か、「大きな存在」か否かが、どうも絶対的判断になっている気がする。前に週刊誌で金正日の身近にいた女性が、みんながいう金正日は違うと言っていた。昔、私に優しかった。本当は優しい人、、、的な言いぶりだった気がする。自分にとって優しければ優しい人、という見方は正しいようでそうでもない。あくまで自分に対して優しいのは、その人の一面にしか過ぎない。一人に優しくしても、その他大勢に厳しければ優しいとは言えないではないか。そもそも優しいなど、価値基準が曖昧だ。なかには自分にとって都合のいい存在かどうかが、優しいの度合いになっている人も見たことがあるし。個から全体を見るのではなく、全体から個を見る必要性を、これ書きながら思った。

気になっていること

どうも気になっていることがある。朝日新聞(好きではないが)の読者投稿欄を見ると、何を偉そうにとか、好みの問題を大きくして語るな、自分の価値観が絶対と思うな、歳を取れば見識は正しくなると思うな、正論ではあるが偽善臭さを感じて嫌だ、と思うことがよくある(読まなきゃいいのに)。

例えば今日のでいうと、柔道選手の髪の色について国の伝統がというお爺さんや、犬のバーゲンという言葉に命あるものをバーゲンとはと批判する女性の投稿がそれである。その何が気になるかと言えば、私が書くこの文章も他人が見れば同じように思うのかなと、いうやつである。気にしても、どうにかなるものでもないが。

他に気になることが3つある。いずれもに上記に比べると軽い内容だ。そのひとつはクール宅急便のことである。今日、家族が通販で購入した靴が届いたが、届けに来たのはクール宅急便のトラックだった。中身は無論、クールである必要はない。単に、クールと書かれたトラックしかなかっただけなんだろうけど……。クールな奴が来ると、溶けないようにと少し急いで受け取りにいくものだから、「なんだクールじゃないのか」と開けて肩すかしを食らうのはあまりいい気がしない。

もうひとつは人工芝のこと。昨日、美容室で髪を切ってもらっている際に、美容師さんと野球場の話になったのだが、そこで某スタジアム(地元の球場)は野球の他に使えないのかと聞かれた。私は他の使い方=東京ドームのようにコンサートなどには? という意味かなと思い、人工芝ではないから無理という話をしたら驚かれた。どうも、東京ドームがコンクリートの上に人工芝を敷いているのが信じられないようだった。意外と、野球にあまり興味がない女性は知らないことなのかと少し気になっている。

最後の一つは、ここの書き方である。文体が、で・ある調やら、そうでないのやら、滅茶苦茶でやっているため、後で見返すと変だなと思う。でも、書いているときは、あまり真面目に書いていると恥ずかしくなってきて、思わず軽い言い回しに(それもいきなり)してしまう。

 

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