不完全の可能性

記入日:2003/11/12

家族殺害カップルのニュースで「人を殺してみたかった」という供述を聞いた祖母が「バカでねぇが」と言った。ついでに「こったらの流せば一番真似するべせな」とも。そう言われると何も言えなくて思わず笑ってしまった。しかし、あれこれ分析して何か言うより、もっとも言うべき言葉のような気もする。

そもそも何でこういったニュースを放送する必要があるのだろうか。前に、若い女の先生が学校で誰が犯人か知るために指紋を採ると言ったことが報道され、行きすぎだと言われて辞職したというニュースがあった(注:報道と辞職は関係ないと言っているが、どうかな?)。元々、指紋を採るというのは学級会で出された案だったらしい。問題は先生よりもこの問題を大きく展開したことにあるのではないだろうか。

少しダメなところがあれば、一気に潰しにかかるような風潮では人は育たない。誰しもが最初から一人前ではない。この程度のことならば許容範囲として、注意だけで静かに見守ってやるべきだったと思う。これを公共の電波で流す意味が何処にあったというのか。

この件のことを振り返ろうと思い、学級会と指紋で検索をかけた。それとは関係のないページだったが、過去に似たようなことをした先生が、のちのクラス会でそのことを後悔しているとあった。こういったことの積み重ねが、失敗と反省の繰り返しが人生ではないのか。そのことを問題を大きくした、情報をメディアに流した者と取り上げた者に言いたい。

人間は他の動物に比べて生物として不完全な状態で生まれてくる。その人間が比較的完全な状態で生まれる動物よりも繁殖したのは、不完全で生まれてくるが故の可能性があったからではないだろうか。人間ほど個体差の激しい動物も珍しい。それは不完全からスタートしたために、変化や成長の範囲が広かったためかもしれない。だから、成長過程のものを不完全だと批判するのはやめて欲しい。

ついでに、国民の1%の反対署名があれば、そのテレビ番組を打ち切りにできるなんていう法律はダメかなぁ~と思ったり思わなかったり(ちょっと論点からはずれるが)。あと、精神鑑定には段階があって、最初の方にやられるのは基礎前鑑定(漢字、あってるかな?)だそうですね。そこで異常ありになれば殺人者も不起訴だそうで……。

選挙

よく、「誰に入れても変わらない」と言われる方がいます。もっともだと思う一方で、そういう人の中には、話しぶりから「変わるかどうか、ちゃんと見ているのだろうか」と思える人もいます。

「入れたい人がいない」というのもよく聞く台詞ですが、そういう人の中にもやはりマニフェストが何かもわかっていない人がいたりします。こういうのは通り一遍な政治不信の文句で自分の政治音痴をカバーしている気がしないでもありません。また、半世紀も生きて「自民党しか知らないから自民党」という人もいますし……身内に。何なんでしょうね、まったく。まぁ、他のことで手一杯と言えば、それまでなんでしょうね。

 

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