世界のいじめっ子

記入日:2003/11/20

朝日、毎日、読売の読者投稿を見比べてみた。朝日は平和ボケ的反戦中心で投稿者への反論投稿なし、毎日は朝日と似てるがもう少し多様性があり反論もある、読売は社会問題全般で若干専門的に突っ込んでいるというのが、個人的な見解である(軽く読んだ程度だが)。

訳あって朝日を中心に読んでいるが、決して好きな新聞と言うわけではない。かといって、他紙も好きなわけではない。朝日と読売は自衛隊派遣やイラク戦争に関して対極的だった印象が強いが、両方とも両極端な気がして好きになれない。毎日はあまり読まないのだが、環境関係の仕事をしていたときにちょっと引っかかることがあって以来、どうもイメージが悪くなっている。

極端の例を挙げる。まず、意見が一元化している。俗にいうタカ派ならタカ派的な意見のみを掲載、ハト派ならハト派的な意見のみを掲載というのでは、対立する者の意見を知らないままであり、問題の本質には近づけないのではないのか。判断するに足る情報を与えることが新聞の役目ではないのか。

次にテロ情報の扱いがある。「アルカイダが自衛隊を派遣したら日本を狙うと言っている。だから派遣はやめて」というのをよく見るようになった。何の問題もないように思えるかも知れないが、テロというものの性質を考えると問題がないとは言えない。

テロはより多くの人に伝えることによって、その効果を大きなものとする。逆にマスメディアは知らせる義務として、起こった出来事を伝えなくてはいけない。皮肉なことに、ここに両者の利害が一致している。だが、伝えるものは選ぶ必要がある。

犯罪者の宣伝

ペルーの日本大使公邸占拠事件において、日本のマスコミはMRTAのセルパに利用されて問題となった。彼の単独インタビューは格好のネタであると同時に、人質の人命を無視したものであり、犯罪者の宣伝を引き受けたものに他ならない。

今どうなっているかはわからないが(数年前の情報なので)、国によってはテロリストの声明文を放送するときは音声を消すそうだ。場合によってはラジオ局等を閉鎖するところもある。彼等の目的に乗っかった報道は慎むべきだ。

テロの不安をかき立てて反戦を呼びかけるだけでも、逆にテロの驚異から対テロを謳うだけでもいけない。その本質を諭すような注意がそこにあって然るべきではないのか。穏健なら穏健、強硬なら強硬、自らのポジションを示した報道は理解しやすくていい。ただ、対になるものが皆無では本質が見えず、ミスリードしかねない。

「国会を解散しなければ、渋谷を爆破する」と言われたから、解散しますとは言えないだろう。報道でテロを育ててはいけない。テロは怯えるとつけあがる「いじめっ子」なのだから。まぁ、一方的な主義の裏には、本音と建て前もあるんだろうけど。

東京の心臓部

勉強とはいえ、自分らしからぬことをたくさん書いたので茶化してみる。この間、「アブ・ムハンマド・アブラジ」を名乗る幹部が週刊誌アル・マジャッラに送ったメールで、自衛隊のイラク派遣計画に言及し、「日本がアラーの戦士に踏みつぶされたいのならイラクに来るがいい。我々の攻撃の手は東京の心臓部に達する」とテロを警告したらしい。

さて、東京の心臓部とは何処だろう? 狙うとしたら永田町か? 単純に人の多い地区を狙うのか? いや、たぶん具体的には何も考えていないだろう。とりあえず、東京も狙えるぞと言いたかったに違いない。狙われる東京。もし、そこで安全な場所があるとしたら……秋葉原ではないか? 訳は怪しげな部品で溢れている彼等が好みそうなところだからだ(買い物をしていたって噂もあったし? いや、案外オタクグッズを漁っていたりして)。「秋葉原、秋葉原、でっかいな オタクの聖地~♪」というセガガガというゲームで使用されている歌を思わず歌いそうになった。

あるがままを見よ

テロのことを書いているとトルコの自爆テロのニュースが入ってきた。昨日、書くことは書いたが、少し付け加える。稀にではあるが、テロリストが犯罪者という認識を忘れたようなコメントを見ることがある。

ふと、高校のときのことを思い出した。自転車が盗まれた友人に対し、周りの友人が「鍵をつけていないから悪い」と言った。それにも一理あるかもしれないが、自転車に鍵をつけなくても犯罪ではないが、自転車を盗めば犯罪である。不注意なところがあったとしても、何も「悪い」はないだろう。友人なのだから、少しは盗んだ奴に腹を立ててもいいだろうに。

無論、自転車泥棒とテロリストは大きく違う。大義なき戦争と言われるイラク戦争の報復という面があったとしても、それは犯罪行為に他ならない。あるローマ皇帝は言った、「あるがままを見よ」と。あるがままに見れば、どんな理屈があっても破壊活動は破壊活動にしか映らない。そう、大義があっても……。

 

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