コーヒー300円分の楽しみ

記入日:2003/11/29

新幹線で隣り合ったお婆さんにコーヒーをおごって貰った。一度寝て起きた後、一人で飲むのは嫌だから付き合ってと言われて飲むことにした。というか、まだ半分寝ているうちに話が進んでいた。

お婆さんは上野近辺の美術館に用があると言っていた気がする。彼女の友人は「こんな時期に本当に来るの?」と心配しているらしいが、彼女は「いつどこにいたって駄目なときは駄目なのよ。そんなこと思ってたら何もできない」と言っていた。

その後、危ないということでテロの話になり、「今、イラクではどこが安全だとか危ないとかおかしなこと言っているけど、戦争になればもう無差別なのよ」と言ったのを覚えている。

危ない・危なくないは、イラク特措法上の問題で、建前でも危なくないとしないと派遣できないからだと、今思うと突っ込みたくなる。まぁ、そのとき思っても黙って聞いたような気もする。たまたま隣り合った世間話でわざわざ突っ込むこともあるまいと。

年長者は若者に話を聞いてもらいたいものだと、実家に帰ってからは思うようになったが、身内がおかしなことを言い出すと突っ込まずにはいられない。よそに行って恥を晒して欲しくないとか、そういうことよりもまず本能的にそうなる。

戦争の経験

彼女もだったが、戦争経験者の中には体験者であることで、未体験者に対して優越感にも似た意識を持って話す人がいる。少なくとも私にはそう感じられてしまう。戦争の経験というのは、俗に言う苦労もしないでとは意味合いが違う。経験しなければそれに越したことはない。

また、経験したからといって今の戦争を正確に捉えているとも限らない。昔と何もかもが一緒ではない。彼女には、若い人はこういった話を友達とするのと聞いてきたとき、何かこう俗悪なメディアで強調された若者像を感じた。

そんなことを感じながらも、彼女の機械の故障と新製品購入による新しい操作を覚える面倒さ、携帯電話の機種についてにパソコンの話などを聞いたり、また質問されたことに答えた。

美術館に行くために東京に出るだけあって、彼女の話しぶりには上品なところがあった。その上品さが私に余計な突っ込みをさせずに、穏やかな会話に終始させた気がしないでもない。私はコーヒー300円分の楽しみを、会話を彼女に対してできたのだろうか、なんてことを今少し思う。それを求めるようなところは彼女にないだろうけど。

東京は雨だった

東京は雨だった。しばらく歩いていると、靴の中がぐちょぐちょになった。水が染み込んでくる靴だった。これは晴れの日用なのかと本気で思うほど、靴底から水が入ってきた。ホテルに入った後はすぐにシャワーを浴びた。

濡れに濡れて嫌な気分だったので、気分転換にテレビを付けたが生憎やっていたのはロケット打ち上げのニュース失敗だった。その後のニュースも足利銀行破綻、イラクで日本人殺害と続く。

翌日も雨で、試験会場には雨が染み込んだ靴で到着するはめに。後はもう何も語るまい。良かったのは、期待しないで入った「ゆで太郎」の牛丼が思ったよりも口にあったことだ。どこぞのコンビニの牛丼に近い味ではあったが。

 

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