人の弱さ
ちょっとしたことがあって「人の弱さ」に関して考えた。私が嫌いなものの中に偽善的で、善意の押しつけを得意とする主婦がいる。五十過ぎのいかにも私は良識派ですと言いたげな顔をした人である。
人が何かのトラブルに巻き込まれたなら、ここぞとばかりに正論をまくし立てて得意になる。相手は何も知らない無知で哀れな人だから、賢い私が知恵を授けましょうばかりの話しぶりだ。
確かにトラブルに巻き込まれた人に落ち度はあるかもしれない。はたから見たら、「何でそんなバカなことを」と思うかもしれない。だが、だからといって何らかのトラブルにたまたま巻き込まれていないだけで、何でそんなに偉そうな顔ができるのか。
人はどんな状況に置いても冷静でいるのは難しい。「バカなこと」と思いつつも、やむにやまれぬ事情や、もろい精神の一面を突かれて、わかっていながらも危機に瀕することがある。その「心の弱さ」を理解しようとする気持ちがないのが残念だ。
五十年以上も生きたのだから、人がそんな状況に陥る気持ちを理解する度量を持っていてほしい気もしないではない。それは甘やかしのようなものとは違う寛大さだ。何らかのアドバイスを得意満面に言う前に、相手の言い分を聞く耳を持つ必要がある。
この手のトラブルに巻き込まれるのはこういう人、そういうメディアが作り上げた被害モデルに縛られ、どういうトラブルなのかを聞いた瞬間に全てがわかったかのように話し始める。その稚拙さこそ戒めるべきだと自らへの警告を含めて書いておく。
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