噂の東京マガジン

記入日:2004/05/09

この番組には若い女性に料理を作らせ、できないのを見て笑うコーナーがある。その派生として若い男性に大工仕事をやらせるのも観たことがある。これを観て思うことがある。一見、若者の常識のなさを笑っているだけに思えるコーナーだが、実のところは視聴者層の大半を占める人々の心のゆがみを写している気がする。

この手のものを観て喜ぶ人とはどんな人だろうか。若者代表といったスタンスで登場する若い人々が笑いものにされるのを観て、楽しいと感じる同年代は少ないだろう。「俺は違う」、「こいつらバカだ」とは、なかなか観られないからだ。

逆に「最近の若者は」と口々に言いがちな層は喜んで観られる。日頃から、「彼らはなっていない」と思っているからだ(自分の若い頃も忘れて)。何かにつけて若者バッシングが起こる背景を考えるに、「社会悪の根元」を突き止めることで納得したい、安心したいという願望が考えられる。

「世が乱れている。それは誰のせいか?」 そんな答えが出ない問いに仮の答えを用意することで、漠然とした悪いことが具現化し、ここが悪いからこうなったのだと知ったつもりになれる。心霊現象ではないかと思っていたことに科学的説明がされ、その原因解明によってほっとするような心理がそこにあるのではなかろうか。

その安心したい願望と「最近の若者は」という太古の石版にもあったとされるフレーズが結びつき、世の乱れは常識のない若者が増えたせいと責任転嫁するに至った。大げさに言えば、このコーナーは二大願望を一度に叶えることで、特定世代の自尊心を満たすことができるので長く続いているのだ。

元をただせば、そういった若者の親は彼らであり、そういった子が育つ環境を創り上げたのも彼らである。その辺をどっかに置いて楽しむ辺りに病んだ精神を垣間見る。彼らこそ、もっとも重傷な年齢層ではないかと。それは「魚が『俺を刺す気か』と言っているようで」という若い女性の比喩に対し、「魚はそんなことは言わないよ」と文法的におかしな突っ込みをするナレーションからも伺える。もうバカにしたくて必死なのだなと。

最近の若者は

そもそも、一次産業が中心だった時代と今では常識そのものが大きく違う。彼らの育った時代に必須だったものが、今もそうだとは限らない。職業の専門化が進むことにより、覚えなくてもいい技能が増えていった。この時代の変化を無視して、昔の価値観で若者をはかるというのは情けない気がする。

逆に彼らにパソコンの操作でもさせてみたら、どうなるだろうか。同胞が苦しむ姿を観たくないのでチャンネルを変えるに違いない。若者は若者で日曜の日中にやっているそんな番組など、観たいとも思わないので視聴率は下がるだろう。最悪の場合、番組に出た人が笑いものにされたと訴えるかもしれない。

年をおうごとにむやみに高くなったプライドが傷つけられ、それを根に持って行動に出るのだ。もてあます時間を使って……。故にこの手のタイプの番組は、笑って済ませられる若者が標的となり、観るのはそれを待ち望む層になるのだろう。

「最近の若者は」というのは延々と続いてきた愚痴である。ただ、近年のそれは少し意味合いが違う。「凶悪犯罪が増えた、最近の子は特別だ」 それは添加物やら遺伝子組み換えやら、今まで人類が経験したことがない生育環境で育っているのだから、今までと違う点が出てくるのは当たり前だろう。そういった意味での特別はさておきである。

青少年犯罪が増えたとデータを引き合いに出すことなしに語るのはいかがなものだろうか。子供の犯罪件数自体は戦後のベビーブーム当時には到底かなわない。当時より子供の数が減ったことを加味し、犯罪件数を子供の数で割った率で比べるのならまだしも、あくまで件数で語るのだからわからない。件数自体、検挙されたもののデータ化であるならば、検挙率が下がった今のデータがどの程度参考になるのかという疑問もある。

そう考えたとき、所詮二流の報道は受けての喜ぶ情報を流してやるだけなのだなと思う。情報ソースを受け手の舌に合わせて加工し、味付けし、真実は伝わらなくていいから快楽は与えなくてはという程度の低いものだ。くだらない何かがそこにある。

 

ランダム・ピックアップ