超ミニスカに迷惑防止条例

記入日:2004/05/13

某教授が迷惑防止条例(だったかな?)で捕まってから日が経ったが、どうも最近は一転して容疑を否認しているらしい。おまけに、義父が女性週刊誌において「見られる方が悪い」的なコメントを載せている……ということを、某新聞の広告欄にある見出しで確認した。

まぁ、見るのがよくないのは言うまでもないが、見られる方にまったくの責任がないとも言えないと、極端に短いスカートを履く人を見ると思う(今回の被害者がどうだったかは知らないが)。極端に短いスカートの人が目の前で階段を上っていたらどうだろうか。

男だったら反応せずにはいられない。別に興奮したくて興奮しているわけではない、その人を魅力的に感じているわけでもない、これは男に植え付けられた本能という悲しい性なのだ。「男ってバカね、あんなことでよろこんで」と言う人がいるが、好きでよろこんでいるわけではない。自分の意志ですらない。これはもう本当に悲しい男の性なのだ。

この悲しい性の発動をグッと堪えるのが男の義務であり、マナーなのだとしたら女とはなんと罪深い生き物だろう。見えそうなものを見ないで我慢する。この本能をコントロールすることで生まれるストレスをため込ませて、それが暴発したら侮蔑の眼差し『のみ』を向ける(全員がそうと言うわけではないが)。

考えようによっては、男にストレスをため込ませるものを履いている人こそ迷惑だと言える。「自分が何を着ようと自由じゃない」と思うかもしれない。ちょっと待ってほしい。自由にも限度があるだろうし、自由には責任がつきものだ。自由とは好き勝手を意味する言葉ではない。大きなリスクを負う言葉である。

男にそういった負担をかける自由への責任を負って欲しいと思うときがある。素っ裸で街を歩いてはいけないと同じように、極端に露出の多い服での外出も罰するべきな気もしないではない。何が迷惑か、それを本当に考えてこその迷惑防止条例ではないか。そこには女性の視点だけでなく、男性の視点も必要だろう。

死体をゴミに出したら

「小言を言われてうっぷんが溜まっていた。盗んだ自転車を乗り回しているのを見つかったので、怒られるのが怖くて殺人を思い立った」という供述を見た。バカなんだろうか。いや、バカなんだろう。殺害した後というものを考えない、いや考えられない低脳ぶりが私には信じられない。

殺害できたら万事OKとでも思ったのだろうか。それに付き合う友人がいるというのも妙なものである。まったくもって理解不能な感覚である。そもそも命の重みというものが認識できていないような気がする。同時に、それをしたらどうなるかという想像力が足りない。なんだか、即席栽培で体だけ大きくしたというか、出来損ないのAIみたいな思考パターンだ。

まぁ、こんな話を私がするまでもなく多くの人は似たようなことを思っているだろう。それはそうとして、殺人事件には死体の隠し場所が大きなポイントとなることが多い。ウッドカッターで死体を切り刻んだという事例もあるくらい、その隠し方に犯罪者は心を砕く。で、ふとゴミ捨て場を見て思った。

いずれにしても、辞めて一切の関わりを絶ってしまったら、それこそ、その問題における責任の取りようがない気がする。中継ぎピッチャーが打たれて逆転された、そのピッチャーにとっては次の登板で挽回することが、責任を取ることになる。その失敗を取り返すことこそ、責任を取るということだと思えるのだ。

切断された死体の一部がゴミに出されたら、どうなるのだろうか。燃えないゴミに混ぜられたら、そのまま埋められてしまって発見不可となるのだろうか。燃えるゴミならば燃焼後に骨が見つかって発見となるのだろうか。焼却場のそういったものに関するチェック体制などはあるのだろうか。

そんなこと考えてどうする的なことをぼーっと考えた。別に推理小説のトリックにどうだろうかなんてことを考えているわけではない(そもそも書けそうにない)。ただ、何となく 毎日のように回収されて運ばれるゴミを見ていると、ゴミ捨て場が異次元の入り口のように思えてくるのだ。出したら最後、二度と戻ってこないから……(大型ゴミはシールを貼らないと戻ってくるかも)。あぁ、あのゴミは何処でどうなっているんだろう。

 

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