無作為に選ばれた千人

記入日:2004/05/15

某テレビ番組の電話による世論調査に答えた。何でも、無作為に選ばれた千人らしい……。実は別件で無作為に選ばれた一万人にも選ばれ、そちらのアンケートにも答える予定だ。懸賞と違って、選ばれたことに純粋な嬉しさはなく、物珍しさへの好奇心だけがそこにある。

しかし、実際に質問に答えてみると不満が残る。二者択一式の質問で支持するかしないかを問われた場合、どの程度の想いで支持か否かを答えているのか反映されないからだ(調査の仕方だが、せめてー3~+3くらいの尺度で答えられたら。重要なのは程度別の支持層の割合ではないだろうか。リターン・ポテンシャル・モデルというのを思い出す……)。「仕方なく支持」も「熱烈支持」も同じ「支持」では、答えていて虚しさを感じずにはいられない。

「○○は辞めるべきだ」と思いますか的な質問をされた場合、本心ではどちらでもいいと思っている人にとって、どちらが選びやすいかと言えば「辞めるべきだ」というものだ。支持よりも不支持の方が発言に対して責任が軽いからだ。選択に対して抵抗感がないとも言える。

「支持する」=「○○が好きだ」的な繋がりを連想するために選択しづらいところもある。そのため、少しでも「辞めるべき」という感情がある場合、そちらに流れていくことが容易に想像できる。ここに「辞めるべき」という答えを得るために、こういった質問を意図的に用意した調査側の姿勢のようなものが伺える。

だから、世論調査で見る"いわゆる不支持"の十数%は、本当のところ「どちらでもない」ではないかと私は思う。また、二者択一で選択できない場合には「わからない」という選択もあったが、「わからない」では無知なバカのような響きがあるので、無理にでも答えようとどちらかを選びたくなる。実際、テレビで「わからない」が増えているのを見ると「バカばっか」に思えてくるだろう。

だが実は、複雑故に二者択一で答えられない問題の場合、思慮深い回答者は選択しきれずに「わからない」にしている可能性がある。その点を配慮に入れて世論調査は今後見ていこうと思う。そして、世論調査の結果を受けて多数派が更に多数派となっていくのが常だが、世論調査なるものがいかに世論を反映しきれていないかを忘れてはいけないと思った。逆説的に言えば、メディアが世論を作り出している気にさえなってくる。

ただまぁ、それ以前に本当に世論調査のアンケートかという疑いもある。個人情報聞き出しのための手段ではないか、みたいな気持ちがないわけではない(その手のことは聞かれなかったが。そもそも、実家経由で電話が来ている時点で、ちょっとアレなんだけど)。

世論調査、その後

そう言えば、あの世論調査はどうなったのだろう。その番組がある時間に家に帰ることが出来なかったので、やったかどうかさえわからないが、小沢氏の代表就任辞退やその他諸々で、今となっては無意味なデータだろう。せいぜい、小沢氏の未加入前後のデータとしての活用くらいしか用い方がない気がする。

今日も今日とて、相次ぐ立てこもり事件で予定していたニュースで流されなかったものが数多くあるだろう。こんなことがあると、ニュースというものが水のような空気のような存在だと思えてくる。まぁ、テレ東のニュース番組は毛色が違うが……(なんだかんだ言って、こっちのニュースの方が役に立つ気さえするし、情報としておもしろいのは気のせいか?)。

 

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