誰かのオリンピック

記入日:2004/08/16

テレビはオリンピック一色である。正直言って、あまり興味はないというか熱くなるところはないのだが、たまにテレビをつけては注目競技の行方に目を向ける。もっとも、見ているのはVTRかニュースのハイライトではあるが(とてもじゃないが夜遅くまで起きて見る気はしない)。

今回のオリンピックでは女子の数が男子を上回ったことで、「女は強くなった」的な言い方をよく目にしたし聞きもした。男女の差について、女性のスポーツに理解のない国のことなどを考えると、ただ単純に「男は弱くなった」的言い方の根拠にするのはどうだろうというのは前に書いた。ついでに付け加えるとしたら、参加数でそういうことを語るのも結構だが、どうせなら獲得メダル数で語ってみたらどうだと言いたい。

そもそも、どうしてこんな「女性は~、女性が~」というフレーズが好まれるのだろう。選挙においては「女性の視点」を声高に叫ぶ候補者は毎度目にするし、この間読んだ新聞でも「女性は環境問題に敏感」と語る女性がいた(別に女性だから敏感なわけではあるまいに)。女性は長い間虐げられてきた、社会はなんだかんだいって男社会だ、社会で思うように認められない、そういったフラストレーションから生まれるフレーズなのだろうか。

もしそうだとしたら、メディアは「強くなった女性」を協調することで、そういったフラストレーションを抱える人にアピールしよう、情報を買って貰おうとしているのかもしれない。痩せたい人が「ダイエット特集」の見出しにつられて本を買うように、好きなタレントの名前にひかれて買うように、「強い女性」という響きにつられて買う人がいるのではないだろうか。

そういった記事は特定層の購買欲を一時的に高めるだけでなく、女性に理解のある良識派メディアとしてプラスイメージを植え付けることが出来る気がする。だから、少々的はずれでも「女性は強くなった」と言うのだ。おかげで、「女性は強くなった(女性はよくなった)」=「もっと言いたいことを言うべきだ、したいことをするべきだ」という勘違いをし、ただひたすらに「あつかましい」だけの人が増えた気がしないでもない。特に、中年女性の遠慮のなさを「たくましい」と表現する文化人には辟易する。あれは、たくましいと言うのではなく、あつかましいだけである。

こんな具合に醜い異性が増えていけば、男だってそりゃ~いくら性欲があるとはいえゲンナリもするだろう。二次元の世界に逃避している少年達はキモイかもしれないが、彼らと同世代の女性達を見ると同情したくもなってくる。今となっては過ぎ去った過去だが、真っ黒い顔にショッキングピンクの口紅、薄汚く染め上げた茶色い髪、いつ洗ったんだかわからないヨレヨレの靴下を履き、恥ずかしげもなく下着を晒して歩く彼女らに、異性として興味を抱けというのは酷な話だろう。

そんな化け物じみた同年代女性に囲まれて青春を送らねばならなかった彼らに男として同情する。若い時代、同年代の女性と恥ずかしさと初々しさの混ざったやりとりは、思い出としても人間的成長としても必須だろう。それを何が悲しくてあんなのと同じ若い時を過ごさねばならないのか……。頼むから、異性の目というか、他人の目をもう少し意識してもらいたいものだと思う次第である。

話がずれた。オリンピックの話である。オリンピックはいつだって開けてびっくりのところがある。今回で言えば、団体競技の不振だろうか。男子サッカー、女子バレー、ソフトボールなんかがまさにそれだろう。そこには過剰なまでのメディアの持ち上げが、実力以上の期待をさせてしまったこともあるだろう。そして、この手の類のもので怖いのは、勝手に持ち上げておきながらダメだったら徹底的にこき下ろし、お節介にも「アレがダメだ」「これがダメだ」と言い始めるところである。このメディアの集中砲火で消えていった人は何人もいただろうに。

また、不運だなと思うのは谷亮子選手である。シドニーでは悲願の金を獲ったのに、突如彗星のごとく現れてマラソンという金から遠ざかっていた種目で金を獲った高橋尚子にいいところを持って行かれ、今回は連覇という偉業を果たしたのに、同じ日に三連覇を成した野村選手と一緒ではその功績も霞んでしまっている。新聞の見出しにもあったが「谷 連覇 野村 三連覇」では分が悪いというか、野村選手のおまけのようである。

とまぁ、いろいろ書いたが、金を獲る瞬間というものを一度もリアルタイムで見ていない。オリンピックの視聴率が凄いとか、大画面テレビが売れているとは聞くが、どの辺にオリンピック熱におかされている人がいるんだろう的なところがある。私の周りでは話題にする人がいないから……。だから逆に、マスコミだけが騒いでいるような気さえしてくる。いったい、誰のためのオリンピックなのやら。

未来の代表選手

体操ニッポン復活のニュースが駆けめぐった昨日今日、体操男子金メダルのニュースに各所が湧き上がった。金メダルの背景にある小さい頃からの基礎トレーニングが語られ、体操王国ニッポン時代の話などが流され、体操熱が加熱しそうな雰囲気さえ漂い始めた気さえする。

そんな中、地下鉄のつり革で体操競技の真似事をする少年を見た。普段ならば、遊ぶなと誰か注意しそうなものだが(最近は子どもを叱る人もいないが)、今日は無礼講といった感じである。どうか、未来の代表選手になってほしいなどと思うところがあるかもしれない。同時に、無限の未来が広がっているその若さをうらやましくも思った。

話は変わって、球界再編について、渡辺オーナーが辞任したときに、彼の陰謀的な辞任劇という「最悪の予測」を書いたが(他所の意見と同じでもおもしろくないので)、某週刊誌では星野SD黒幕説が書かれていた。明大に太いパイプを持ち、1リーグ制に反対し、選手会とも結びつきが深く、後輩である明大の一場選手が阪神入りの誘いを断ったことという十分すぎる動機を挙げていた。また、他誌では渡辺オーナーが院政をしくのではないかという話まで出ていた。まぁ、正直言ってもうどうでもいいのだが……。

言い訳のルール

先日、谷選手の連覇に関して、野村選手の三連覇と一緒では分が悪いと書いた。だが、今日観たテレビで野村選手は、いつも谷選手と試合の日が同じなので、新聞の一面を飾れないことを悔しがっていた。ああ、なるほどなと今更ながら思った次第である。私的にはあくまでも成績のレベルで考えていたのだが、新聞の評価はあくまでも知名度のようで……。

新聞といえば、8/12付けの朝日新聞朝刊における「大魔神 引退報道」は何だったのだろう。週刊新潮だか、文春だかの指摘で気づいたのだが、選手にとってもファンにとってもはた迷惑な一報だった(指摘で気づいたというのは、何処から流れた情報か気づいたということ)。

今現在、彼は引退する気はないと公言している。記事にあったような辞める云々の会話もなかったらしい。そんな彼に対して、引退撤回と書いていたところがあった。撤回では引退の意志があったと思われてしまう。もし、撤回と朝日が書いていたとしたら最低の言い訳である。自分の流した情報を嘘にしないために、事実を都合よく解釈したことになる。これはルール違反の言い訳だ。

なんだか偉そうに貶してばかりなので(そんなつもりはないけども)、ちょこっと褒めたいことをひとつ。職場には社食があり、毎月二回はバイキングの日がある。バイキングのコースは主に和食・中華・洋食の3種類がある。今日は洋食のバイキングだったがメニューがよかった。クリームシチューをかけた鶏肉、絶妙なソースがかかった豚ロース、ハンバーグ、ナスと何か……。文章にするとつまらないが、社食の割にはうまかった。何より、動物性タンパクをあまり採る機会がない私にとってありがたいメニューだった。

量り売りなので、高そうな食材ばかり取る貧乏根性の私にはお得な食事だった。逆にこの間のバイキングでは、もやしばかり入った料理で随分とがっかりした。あの一袋25円しかしないもやしばかり入って、1g1円では納得がいかないというものだ。その点でも、今日は非常に満足である。今日はいろいろあったが、うまいものを喰っただけで私はご機嫌になれた。ありがとう、うまい食い物。

それはそうと肩が痛い。右肩は前から痛かったのだが、今度は右肩をかばうように使っていた左肩まで痛くなってきた。いやはや、どうしたものか……。

 

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