伝わらない思い

記入日:2004/08/23

2004/08/20の日記で書いたようなことを伝えようとしたが、うまく伝わらなかった。互いに欠点を指摘し合って高め合おうというのは、なかなかうまくいくものではないということから話し始めたのだが、最後に相手が言ってきたのは「私は思ったことは言って、『これは嫌だと思うけど、どう思う?』『私も嫌』ってなって(問題解決)」というものだ。

何となく、「それが理想だろうけど」と言ってしまい、「理想」という言葉に開いては不可解な表情を見せた。この時点で両者には理解の壁、いや認識の違いが存在していた気がする。相手が考えている「言った方がいいor言わない方がいい」のレベルは、『これは嫌だと思うけど、どう思う?』という言葉からわかる通り、相手のことに関してではなくて第三のものに関してである。私が言っているのは、言う相手のことに関してであり、その内容も言い方によっては相手を傷つけてしまうであろう内容に関してである。

相手の理解力がないのか、私の説明力不足かわからないが、言葉でものを伝えるのは難しい、いや もどかしいと感じた出来事だった。これと似たようなことは頻繁にある。この間も、明大・一場選手の問題で契約金及びそれに準じるものを受け取ってはならない云々の話をしていて、相手が「お小遣いだって言って渡したのだから契約金に準ずるものではない(法の抜け道のようなもので)」という言い方をした後に、「現実問題としてあの金額はお小遣いと言えないよね」という言い方をしたら、先に挙げた「お小遣いだから契約金ではない云々」の台詞を繰り返された。私はその言葉の意味を分かって言ったのに、である。

こういうのもある。製薬会社に勤めていた薬剤師の方と話したときのことだが、日本ではなかなか薬の認可がおりないので、新薬を海外に持っていって発売し、海外で効果が認められたという実績を持って認可を求めた方が日本では早く認可がおりるという話をされた後、「なんだか、海外の人を実験台にしているような感じですね」と言ったら、「そうじゃなくて、その方が早く認可が早くおりるから~」と言われた。

これも、相手が言うことをわかって「まるで~のようですね」という比喩で話したのだが、どうも相手にはそのようには伝わらなかったらしい。不思議なことに、この伝わらなかった三人はすべて女性である。男と女では脳の構造が違うと聞くが、こんなところにもその差が出ているのだろうかと思えてならない。

今回のことで注目すべきは、『これは嫌だと思うけど、どう思う?』『私も嫌』というやりとりにも見られるように、女性は「共感」を求めているということだ。彼女らと話していて思ったのは、男に比べて女性は「共感」というものを強く求めているということである。

初対面の若い女性同士が仲良くなるとき、「これって、○○だよね?」「そうそう」という会話をよく聞く。これは、「共感」を見せることによって「仲間」だという認識を深めているように思える。男なら、どうだろう? 男だって「共感」を求めようとはするが、何かこう女性とは似て非なるものがそこにある気がしてならない。うまく言えないので、この話はまた今度。

「すいません」が挨拶

ちなみに昨日も、「すいません」という言葉を何度か使っていたら、「すぐに謝るね」と言われてしまった。私としては謝っているつもりなどないのだが……。たぶん、謝罪で使っていない「すいません」を謝罪の言葉ととられたのだろう。たとえば、「ちょっと、何々してくれませんか?」の「ちょっと」と、「すいません、何々してくれませんか?」の「すいません」は、ハッキリ言って同じである。

まぁ、前の仕事のクセで「すいません」が挨拶みたいなものになっているところもあるので、一応 そのことを伝えてこの話は軽く流れた。そう言えば、この相手も女性だった……。こうも続くと、ちょっと疲れるところもある。で、最終的に女性の話は「はいはい」頷いて聞いているに限るとなるわけだ。

人の振り見る前に我が振り見直せ

自分が不機嫌だと周りにその嫌な空気を始終発散し続ける人」に関して、2004/08/23の日記で最初に挙げた人物、前に書いた職場の新人が「あの人は子どもだ」と散々言っていた。私も急に不機嫌になったその人を不愉快には思っていたが、「子ども」だとこき下ろした新人もどうかと思っていた。

なぜならば、彼の人が不機嫌になっている理由に、その人の仕事上の不出来さが関係している可能性があるからだ。案の定、今日 彼の人の独り言の愚痴を聞いていてそうだということを確信した。まず、新人の仕事ぶりである。何かやるにしても雑で、後で我々がやり直す羽目になることが少なくない。

覚えるべき仕事を、一ヶ月経ちそうな今になっても覚えていない。教えられても覚えようとしている姿勢が見られない(せめてメモくらい取ったらどうだ)。わからないことがあれば人に聞いてとは言ったが、聞くのは最後の手段であるのは言うまでもない。自分の力で何とかしようという態度くらい見せてほしいものだ。そして、聞いたら二度と同じ事を聞くことがないように覚えてもらわないと困る。起こった問題をその場しのぎで済ませていては進歩も何もあったもんじゃない。

極めつけは二週間の休みだ。いくら都合があるとはいえ、この連休はなんだ? しかも、そういった休みをとってなお、週休二日にしたいと言うのか? 仕方のない休みでも、それ相応のすまない態度というものを見せてもいいのではないか。自分が長期間休むために負担をかけることを考えたことはあるのかと問いたい。休んでいいと言われたから? そりゃ労働基準法的に休めないとも言えないだろう。本音と建て前くらい見分けてほしい、それこそ「子ども」じゃないのだから。そもそも、仕事を授業で出された課題かサークル活動と勘違いしているのではないか? 金銭をもらうことの意味をわかっているのだろうか。その辺から言って問題だ。まず、その足りない頭をどうにかしろ、と伝えたくもなる。

そうそう、「献血不合格者が増加 鉄分不足が原因か 県内の女子大で7割のケースも」という記事を見て思ったが、彼女(新人)は鉄分が足りないのではなかろうか。「鉄欠乏性貧血」は記憶力や持久力が低下するそうだから、そのせいで彼女も物覚えが悪いのかもしれない。本当にもう黙って鉄でもかじってろというくらいの悪さだ。馬鹿なんじゃないだろうか? そのくせ人の批評だけはする。何様のつもりなんだろうか? 人のことをどうこういうよりも自分のことを何とかしてほしいものだ(私も人のことばかり言ってられないが)。

その彼女が、この間の私の話を正しく受け止めずに、私を「単なる言いたいことを言えないやつ」と認識していないかが気になる。というか、そうだったら俗な言い方でムカツク。ムカツクと言えば、勝手なもので人の日記も、ものによってはムカツク。知人のものなど特にそうだ。何にムカツクかといえば、仕事への認識が甘さだ。他人の都合などおかまいなしに、自分の都合が優先されなければ非を他人に探し出す。その愚かしさがたまらなく嫌だ。

とまぁ、相変わらずのストレス発散日記だが、今日はいいこともあった。ずっと探していた一文が見つかったのだ。ある本にとある言葉が載っているらしいと聞いて、何十冊もある本の中からその一文を見つけようとしてきた。それが今日、何とか発見できたのだ。見つけた瞬間、思わずガッツポーズをしてしまった。それくらい嬉しかった。

発言無き者は意志無き者

人の振り見る前に我が振り見直せの続き。

例の新人が取った二週間の休暇という問題が話し合われた。前にも触れたが、この二週間の休みは卒論のためであり、ここに入る前にそれについて了承を得ている。学生を雇っている時点で、そうしたことも想定はしているだろう。

ただ、そのことについて「申し訳ないですが、長い休みを取らなくてはいけません」という詫びの気持ちは見られなかったし、前もって断るようなこともなかった。そこに少なからず憤りのようなものを覚えるところがあったのは前にも書いている。それを踏まえて本題に入る。

まず、彼女が「卒論で休まなくてはいけないんですけど、どう思いますか? もしダメなら休みを減らします」と言ってきた。彼女がそう言った後に、「卒論だから仕方がない」「了承は取ってある」という二点を仕切に協調するので、私としては「そう言われれば、『仕方がないんじゃない』としか言いようがない」と言い、詳しくは彼(我々のシフトを決める人)に聞いたらと言ったところ、その人が他のメンバーがこの休みについてどう思うか聞いてこいと指示したと言った。

この時点で、質問をしてきた彼女自身、何を聞きたいのかがハッキリしていなかったように思える。聞いてこいと言われたので聞きに来た、そうとしか受け取れなかった。「了承はもらっているから長期間休むことに納得しろ」と言っているようにすら思えた。

その後、彼が他の面子も集めたところで、彼女の休みについて話し始めた。まず、平等に仕事を分担しないと不公平であることと、彼女が長期休むことがどれだけ周りに負担を強いるのか言った後、長い休みに入る前の前後の彼女の作業を増やすことを言った。次に彼女の連休と他のスタッフの休暇が重なり、そのとき出勤するメンバーの負担が増す日について触れた。

ここで彼女が「だったら、休みを減らします」と言ってきた。それを受けて、彼は「卒論がかかっているんでしょ? 本当は休みが欲しいんでしょ? 卒業できなくて後で恨まれても困る」と言い、彼女は「周りへの負担とか全然考えずに休みを取ってしまったけど、それに気づいたので変えるんです」と反論した。この休む休まないの繰り返しの後、いきなり私に話が振られた。

「このことについてどう思う?」と、この流れの中で聞かれれば、「休みがいらないというなら、それでどうぞ、と。ただし、後のことは自己責任で。これだけ休むことに関しては、デスクがいないので何とも言えませんが」と言ってしまうだろう。それなのに、彼は「そういうことじゃなくて」と言った。

他のメンバーにも話は振られ、ある人が答えた後だったろうか、他のメンバーが言ったのか、彼女が言ったのか忘れたが、「長期間休んで申し訳ないんですけど」という言葉に、彼が「どうしてその一言が出ないのか」ということを言った。それを待っていたかのような言いぶりだった。

しかし、私には彼が話の落としどころをそこに見いだしたに過ぎないような気がしていた。それは彼と彼女のやりとりの中で、彼の話が同じ所をぐるぐる回っていたからである。ハッキリ言って何を言いたいのかわからない話しぶりだった。

「休みを減らします」「本当は休みたいんでしょ?」その繰り返しから、どうして「長期間休んで申し訳ないんですけど」という言葉が想像できようか。彼女の仕事ぶりなどで腹を立ててムッとし、作業中にぶつかった彼女のゴミ箱を蹴る彼の様を見ていれば、いきなり多すぎる休みを取ったことに憤慨し、その感情のコントロールが出来ないまま話し合いを始めてしまったと思うのは不自然なことではない。収集できなくなった話の終わりを探していた、どうしてもそんな風に思えてしまうのだ。

結局、長い休みを取るときには周りに前もって断っておくことということを言って終わった。ハッキリ言ってくだらない。最初からそれだけ言えば済むものを、何をわざわざと思えて仕方がない。彼女に「長期間休んで申し訳ないんですけど」と気づかせたいとしても、あんなやりとりで出そうとするのはいかがなものだろうか。

ここまで書いて思ったのだが、私がこのことで苛立ちを覚えているのは、彼女や彼の態度もさることながら、「長期間休んで申し訳ないんですけど」という言葉を出さなかった私に対して、彼が私をその言葉が出せないヤツだから、長い間休むことに関して「長期間休んで申し訳ないんですけど」と思わないのではないかということに関してだ。

別の言い方をすれば、彼の勝手な論理というか誤った認識の仕方で、人様に負担をかけるときに「すいません」と言う常識、そういった礼儀を持っていないように思われてはいないかと苛立っている。不当な自分への評価の可能性に苛立っているのである。必要以上に低く見られることへの不満、これは私という人間には顕著に見られる。何故、私はそうなのか……。それはまだ、わからないが。

まぁ、でもあそこにいるのは私にとってどうでもいい人達である。バカにどう思われようが、別にどうだっていい。所詮バカだもの、正しく物事を見ることを期待する方がおかしいと思えばもう何てことはない。何てたってバカだもの。

『言いたいことを言えると自負するのは女性に多い。私はこれを褒めたくはない』について補足する。今回のそれを受けて気づいたのだが、先に挙げた女性に自己中心的イメージが付きまとう理由がわかった気がする。

新人の彼女が「そういうの(腹のさぐり合い)苦手だから、思っていることをお互い言った方がいい」と言っていたが、腹のさぐり合いというか「相手の気持ちを察する」ことを苦手で済まし、何でもかんでも言い合って済ませようしたら、徐々に他人の気持ちをまったく察することが出来なくなり、それは相手を思いやれないことに繋がりはしないだろうか。

わかりやすい流れで言えばこうなる。「言わないとわからない(言葉以外の判断基準の喪失)」⇒「言葉になっていないものは考慮対象外(言葉を発しない者は意志のない者)」⇒「言葉以外の部分を考えようとしなくなる(気持ちを察することが出来ない)」⇒「言われないと何もわからない(相手を思いやれない)」⇒「人の気持ちを察することが出来ないのだから、自己中心的になるほかない」。

この「発言無き者は意志無き者」というのは欧米的な捉え方にも思える。彼の国々の人が彼女のようなことを言った場合、それは「文化」という言葉で表現されるのかもしれない。私の考え方が「日本的」と言われるかも知れない。しかし、現に彼の国々の人々の行為が我々にはあつかましく、横柄な態度に思えることがしばしばあることを思うに、それは文化と言うべきものではなく単なる自分勝手と言った方がいいのではないだろうか(無論、彼の国々の人にも個人差はあると、集団錯誤{心理学で言う}に陥って「私の○○人の彼はとても優しいの」という論点を外れた反論をする人がいるので書いておく)。

彼の国々の人々、特に男性は親切だという人もいるが、あれは気持ちを察してそうしていると言うよりは、レディーファースト等に見られるように、もはやそういう「察する」「思いやり」が習慣として形になっていて、「察して」または「思いやって」そうしているのとは違う気がする。もしかしたら、習慣になることで「察する心」が弱まってしまったことを補っているのかもしれない。まぁ、海外事情には特に詳しいわけではないので、勝手な想像の範囲内での推測である。この辺の意見はたいして読む価値もない。

話を戻す。「察しなくなると相手を思いやれなくなる」というのは、先に挙げた彼女の例を見ればわかる。彼女は「自分が長期休んだ場合の周りの負担」を察することが出来なかった(この辺も彼の国々の人々なら、休む「権利」を行使するんだから文句は言うな。私には「休む」自由があるんだと言い放つのかもしれない)。彼女の口からは「長期間休んで申し訳ない」という相手を察した言葉も出なかった。そこに「言いたいことを何でも言う」タイプの醜さと、「言いたいことを何でも言う」ことの美徳を唱える人への愚かさを見いだすのだ。帰する所はこれなのだと。

バカの意味

自分が不機嫌だと周りにその嫌な空気を始終発散し続ける人」のご機嫌が戻り始めた気配がある。とは言っても、風邪を引いているのか、具合が幾分よくないようなので、ハッキリしたことはわからない。

例の新人は今日もちょっとポカを幾つかやったが、一番大きなものはその人だけの責任でもない。あれは、その仕事をさせる前に、やらせる側が説明しておくべきことがあった、そう思えてならないところがある。それを抜きにしても相変わらずお粗末で雑な仕事ぶりだが……。

最近よく「バカ」と人のことを罵っているが、心の奥底からそう思っているわけではない。どんな人でも、自分の知らないことを知っている、自分ができないことをできる、だから完全に他人を見下すことはない。それでも「バカ」という言葉を使うのはストレスを解消するためである(相手をそう思うことで、その人によく思われなくても平気になる)。愚痴を言うときにまで、人に気を遣っていても、それこそ「バカ」らしいからだ。

それで、その「バカ」の一人にしてしまった例の新人だが、今日はいわゆる直属の上司に当たる人と昼食を取ったらしい。何か相談したのか、ただのお食事会かは知らないが。その彼女、私らの30分後に仕事が終わる女性と一緒に地下鉄で帰るところを見かけた。私が途中の駅で降り、買い物をして乗り込んだら、たまたま彼女らが乗った電車だったのだが、私に気づいていないようだったので私も気が付かないふりをした。

ボーっと突っ立って乗っていたが、新人の普段とは違う笑い声が聞こえてきた。喋りの調子もテンポよく、普段は猫でもかぶっているなという感じだった。女性同士になるとこんなものなのか、本性を隠しているのか、我々と気が合わないのかは知らないが。ただ、何となく私を含めた職場の男への悪口を言ってそうな雰囲気に思えてしまった。そう感じてしまう誰かを「バカ」にした感じの笑いと「男達」という言葉がそこにあったからだ。

 

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