異性の理由

記入日:2004/09/02

打ち合わせのようなもののために有楽町に行った。駅前の三省堂で待ち合わせ、近くの無印のビルに入った。そこのカフェで色々話すことになったのだが、無印良品がこんなこともやっているのかと今更ながら感心した(?)。そこのクロワッサンは普通に美味しかったし、オレンジゼリーも思ったよりいける味だった。ただ、マンゴーのラッシーはどうだろう。

それはそうと、なんだかんだと三時間近く話したのだが、話題の大半は本題ではなくて雑談だった。月の土地やら、宇宙エレベータ計画やら、野口英世やら、イラストレーター(Adobe)やら、少年隊やら乗馬のドラマのことまで話題は多岐にわたった。その中でパソコン関係の話題になると、一人の人がどうしても蚊帳の外になってしまっていた。

そういう風な状況においたせいだろうか、「社会人になった後に大学に来る男の人って、逃避している傾向がある」と言い、そのことについて論文を書けばよかったと言ってきた。私への当てつけかと、振り返って考えると思えてくるのだが、あれは今にして思えば年下の私が彼女の知らない時事ネタを彼女よりも年上の女性と言い合ったのが生意気に映ったのか、はたまた知らない話題をされてうんざりしたのだろうかと気になるところである。

それはそうと、前に一回り年上の男性が、彼女とは逆に「社会人になった後に大学に来る女の話を聞いていると、生活(自分)を変えたくて大学に来た。給料は前より下がったけどよかった」と言っているが、目的というものが見えてこないと言っていた。入って出た後にどうしたいのか、どうなっていたいのか、そういうビジョンが見えないと。

別にどっちかの肩を持とうと言うのではない。男の側から見ているか、女の側から見ているかで、こんなにも真逆な感想を抱くものなのかと思えたのだ。男の理由は男にしかわからなく、女の理由は女にしかわからない。そんな気もするが、その両者がろくな異性に会っていないという最悪の結論もあるなと思えている。

愛と金

話は変わり、トリビアの泉のこと。「愛と金、結婚相手にどちらを望むか」というのを全国の80歳以上の女性に聴いていた。結果は「愛」の方が多かったものの、東北・北陸、関西、後は東海だったろうか、そこだけは「金」の方が多かった。特に関西は「金」の支持者が圧倒的だった。

80歳以上に聞いたのは、長年生きた人ならば、どっちが大切かわかるだろうからという理由からだったと思うが、見ている限りではそれぞれを選ぶ理由は「無い物ねだり」と「環境」によるところが大な気がする。「金」を選ぶ人は金に困った人生を歩み、「愛」を選ぶ人は愛に飢えた人生を歩んだか、ある程度食うに困らないで楽しく生きた人が選んだように見える。

「環境」要因を挙げたのは、東北地区の「金」支持者の背景には、「職」のない東北の事情が垣間見える気がしたからだ。「関西」のそれはもう気質的なものだろうし……。まぁ、なんだかんだ言って、歳を取ったって人はたいして偉くなりはしないだろうというのが所見である。よく歳をとって悟りを開いたようなご老人がドラマに出るが、そんなのはまず見ることはない。

身近な老人を想像してみたらいい。若者以上にわがままな人もいれば、羞恥心が無くなって好き勝手している人もいるし、いつまでたっても若い子のお尻を追っかけている殿方までいる……。すべてを達観して見るどころか、些細なことでキーキー喚き立てるではないか。

そりゃ、中には立派な人もいるだろうが、そういう人は若い頃から何かしら、そういう風な部分を持ち合わせている気がする。だから結局のところ、人によって向き不向きがあるように、「金」が必要な人もいるし「愛」の方が必要な人もいる、それでいい気がするのは私だけだろうか。

ただまぁ、年代間の格差のようなところはあるだろう。我々の世代にはない感覚というものが、今のご年配の方々にはある。そうそう、今日 深夜に電話がかかってきて長電話をしたのだが、そこで「最近の若い子は言わなきゃわからない」という話になった。

社交辞令的な「気にしないで」を真に受けて、本当に「気にしないで」個人の悩みを延々と相談し続けてくるらしい。悩んでいる時点で通常の思考とは違うというか、その辺の気持ちへの配慮はしても、その無遠慮さには驚かされた。詳しい内容は書けないが。

 

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