宅間守死刑囚の死刑執行

記入日:2004/09/14

宅間守死刑囚の死刑が執行された。死刑としては異例の早さだったと言っていいだろう(刑事訴訟法で死刑は確定後6ヶ月以内に執行とあるが)。この期間の是非について各所であれこれ言われたが、私個人としてはもっと早くても良かったと思っている。被害者家族の方々もこの早さへの考えに違いがあったが、謝罪の言葉を期待していたのは皆同じだろう。

私が早ければ早いほうが、と思うのは第一に犯人として疑う余地がないこと、第二に反省が今後も見られそうにないことが挙げられる。あんな罪を生き残ったところで償えはしないだろうという思いもあるが、犯罪者に多額の金(税金)をかけて生かすのも更正するのも馬鹿らしいというのが本音だ。

しかし、彼の「死ぬのは怖くない」、「早く死刑にしてくれ」という言葉を聞くと、死刑執行は彼の望みを叶えただけに過ぎない気がしてくる。最大の罰すらも、望みとなれば罰にはならない。むしろ、「死」という「安楽」を与えてやったのではないか。そう、「安楽死」と言っても過言ではない。

「死ぬのは怖くない」というのは強がりだと言っていた人もいたが、本当のところはどうなのだろうか。まぁ、別に知りたくもないが(そもそもヤツを理解してやる理由はない。理解して欲しかったら違ったアピールをすればよかったのだ)。

犯罪者が好きな女性

だから、問題がある発言と知っていながらも敢えて言おう。「拷問でもすればよかった」と。言ってわからなければ殴ってやればいい。「痛み」と「恐怖」をその体を持って味わうのが、「罰」としてはもっとも筋が通っているだろう。生やさしい法治国家の「法」による罰則など、畜生には何の意味も持たないものなのだ。

それはそうと、あんな野郎が何度も結婚していることを考えると、ああいった輩を相手にする女の多さに辟易する。ああいった存在と一緒になれる女(無論、一部の女性だが)という存在を不気味に思えてくる。一体全体、何処に惹かれたというのだろう。本当はこういう人なのよ、私だけがそれを知っているの的な妄想でも抱いたのだろうか。

ちなみに、彼と獄中結婚した女性は、謝罪の言葉を引き出したいという意図で結婚したそうだ。そのことを書かずに一緒くたにするのもなんなんで付け加えておく。彼女の本当のところはどうなのかは知らないが。なんせ、そういう団体があるからな。

 

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