人を頼りに生きるヤドリギ女

記入日:2004/10/05

大学の日程を知らずに四年間やってきた女性がいる。夏休みの終わりはいつなのか、授業の始まりはいつのなのか、まったくわかっていなかった。掲示板など見ようともしない。いつも誰かに聞いて済ませているのだ。

思えば、バイト先での仕事もそんな感じだ。仕事を覚える気がない。わからないときは誰かに聞けばいい。ミスをしたら謝れば済む。それで許さないのは、相手の方が悪い。そのふてぶてしい態度が気にくわない。

だが、そんなヤツは社会にいくらでもいる。そして、往々にしてこういったヤツの方が得をしていたりする。社会人の世界において、要領のいいずるがしこいヤツは仕事を他人に預け、自分は無能と言われようとも楽な道を行く。その一方で、真面目で責任感のある人がその人の分をカバーし、その頑張りが心の病に陥らせる場合がある。

まったくもって馬鹿らしい。しかし、人生というものを終えようとしたとき、そういった人たちがいったいどれだけのものを残したと思えるのだろう、やり遂げたと思えるのだろうか。それから、どこまでも人を頼りに生きられるほど、人生とは甘いものなのだろうかと考えると、所詮ヤドリギはヤドリギに過ぎぬと嘲笑したくなるのである。

オトナの条件

大人だ、子どもだ、そういった言い合いは見たくもないし書きたくもない。ただ、この間CMか何かで「感情を抑えるのが大人だ」というのを見たとき、私的には救われたような気持ちになった。それは私自身がよく我慢をするタイプであり、何かを考慮して感情を抑えることがたびたびあるからだ。それを先に挙げたヤドリギ女などは、言いたいことを言えないなどと筋違いの見方をするのだろうが。

そもそも、ああいった類の人間が持つ「私はこうなのよ」、「私はこうしているのよ」という自慢は、大きな挫折を味わったことがない者か、ただの勘違いバカだということをさらけ出しているに過ぎない。

人のことを言っている場合か

例の職場の新人のことに関して、前に書いた歴史を学んでいる蘊蓄王がいろいろと話してきた。もっぱら愚痴である。彼は彼女が勝手に持ち場を離れる、注意してもムッとするだけで直らない等々、日頃から鬱積しているものを私に吐いた。私から言わせれば、その彼自身も唐突に持ち場を離れるし、遅刻だって多いのだからと、人のことを言っている場合ではないと思わなくもない。

幾通りもの視点

最初に例の新人(もう2ヶ月経つが)について、「2004/08/20」で書いた彼が不満を漏らしていたことについて書く。仕事上のミスから、休みの取り方に至るまで、彼女に関する不満は尽きない。祖父が危篤状態というので、帰郷のために休みを取ろうとした彼女だが、その休みに公欠をあてずに公欠は別で取りたいと言い出したのだ(シフト制なので、月何日かの休みをそこにあてればいいのに、そこはそこで休んで週休二日を崩したくないらしい)。

そのことに関して、先月の二週間の休みのこともあって、彼は「本来ならば、あまり休めないところ(この職場は)だよ。コンビニでも二週間休みたいと言ったら辞めてくれと言うよ」と言っていた。まぁ、みんなが皆そうしたら組織が成り立たないので、彼の意見にも一理ある。私としては、もはや職場のことなどどうでもよくなってきてはいるのだが(金さえ貰えればいい。たいした仕事でもないし、ガキをまともに相手にする気にもなれないし)。

それはそうと、珍しく他部門の人と話した。その人は例の彼女といくらか交流があるせいか(同性ということもあるが)、どちらかと言えば彼女よりの見方をしていた。先の彼が周りに不機嫌をばらまくので、実際に「あなたが怒っていると、周りの空気が悪くなるのでやめてください」と言ったらしい。彼の返答は「怒っているんじゃなくて、落ち込んでいるんだ」だったそうだ。

たぶん、それは相手の指摘を素直に受け入れられない彼の詭弁に過ぎない。現にゴミ箱を蹴っている姿を見ている身としては、「落ち込んでいる」とは到底思えない。進言したことはある意味驚きと賞賛(?)に値するが、若干得意そうに言う態度に若さを感じずにはいられない。いや、違うな。

セクションが違う分、向こうの方が言いやすいのだろうが、言えない私たちへの侮蔑を多少なりとも感じずにはいられない。考え過ぎかもしれない。しかし、何かこう腑に落ちない。私がどんなことを考えて言わないのか、わからない者に~という気持ちがそうさせるのかもしれない。

いやいや、それも違うかもしれない。彼女は会社の飲み会に不参加の人を積極的に誘うような人である。ある意味において、職場が生活の中心(重点が置かれている)となっているのかもしれない。そんな人が職場での「働き」を得意がっているのに、「どうでもいい」私としては鬱陶しさを感じずにはいられないのだ。

そして、彼女が私のセクションにおける唯一の話し相手である新人の彼女からの情報をすべてと思っているところに、幾分か腹立たしさのようなものを覚えているのかもしれない。

一方向からの情報ソースでは、事の真実は見極められない。その人は自分にとって都合のいい言い方しかしない、その人が見えていないところは決して伝わらないからだ。

物事の見方には幾通りもの視点があるように、物事を冷静に見ようと思ったら複数の意見を耳にしなくてはいけない。その辺を考慮した方がいいと思わずにはいられないのだ。人間は親しい人間の意見のみでその組織の全容を把握したつもりになってしまいがちだが。

 

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