イラクのマザーテレサ殺害
タイトルを見れば事件内容はわかると思うので割愛する。こういう話を聞くと、本当に無差別なのだなと痛感させられる。同時に武装勢力の残酷さと愚劣さを感じずにはいられない。女性の頭を銃で撃ち抜いた、それもイラクの人々のために働いていた女性を。
彼女を選んだ理由は見た感じ西洋人だから、だろう。そんなのがいると、かえってファルージャの制圧を正当化させてしまう。こういう輩が潜んでいる、だから徹底的に叩きつぶさなくてはいけない。そういった輩はいつ何時どんな格好で迫ってくるか分からない=民間人も怪しいので撃ち殺す。それは自然な流れだろう。別に米軍の肩を持つ気はない。
ただ、あの武装勢力がイラクのためを思うのであれば、むしろその存在がない方がイラクのためであると言いたい。いっそ、武装勢力に賞金をかけ、隣組制度的に市民の力によるあぶり出しを始めてはどうだろうか。いや、私の情報が欠如しているだけで、既にやっているかもしれないが。
話は変わるが、戒律で禁忌が多い宗教はろくなものではないと社の人間が言っていた。頷くところがある。禁じれば禁じるほど、人はフラストレーションが溜まって他に代償を求める。耐えれば耐えるほど、それには価値があるのだと思いこむ。故に危険なのだ。本当の価値がそこにない場合。
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