何処かで誰かをバカにしている

記入日:2004/12/30

今日、奈良の幼女誘拐殺害事件の容疑者が連行された。事情聴取を受けたのは複数であり、自宅から被害者のランドセルなどが押収された人物は新聞販売員だという。

多くのメディアでは新聞販売員とだけ出ているが、朝日新聞のWebでは毎日新聞の販売員と書かれていたらしい。それを見た職場の人は、「自分のとこがやったら書かないくせに」と文句を言っていた。まぁ、朝日だって死体を箱詰めにした例の事件があるじゃないか、忘れたのかという感じだろう。

今日、同じ大学に通う知人と忘年会を開いた。そこで、私が取っている授業の課題である学習経験のある社会人へのインタビューを行った。酒を呑みながらするものでもないのだろうが、さっさと片づけたかったのでやることにした。

もともと、そのための忘年会である。夏に一度ふたりで飲んだきり、彼女とは飲みに行っていなかった。最初の飲みは私の方から誘ったのだが、それ以降はあまり話したいという気持ちにならなかったので、彼女にまた行こうと言われてもそう乗り気ではなかった。

忘年会をやろうと言われていたが、それも乗り気ではなかったのだが、今回このような課題が出されたことで、一番都合が付きそうな人物として彼女が急浮上した。自分にとって都合が良くなれば会う、私の身勝手さを思い知る。

で、そんな風に接していることからわかるように、私は何処かで彼女をバカにしていたところがある。前にちょっと書いたが、言動的なもので年上でありながらも尊敬できないというか、大人としての自覚という意味での足りなさを感じていた。前の仕事が派遣社員と聞いたとき、何かこう常日頃から見受けられる飽きっぽさの理由がわかった気がしたのを今でも覚えている。

そんな彼女の体験談というか人生経験は、ある意味において私よりも遙かに上を行っていた。海外で暮らしていたと言われると、そういう経験がない私は素直に凄いなと思えてしまう。

しかし、よくよく考えてみれば、そういう環境で育った人間、そういう必要性があったならば普通のことである。片田舎に生まれた私にとっては、海外での経験など別に必要なことではなく、田舎で生きるための知恵や経験を積むことの方が、その時点では優先順位が高かっただけなのだという気がしないでもない。

まぁ、いずれにせよ、すぐに他人を見下す自分の悪い癖を反省した次第である。誰かを見下し、自分よりも低い何かを見つけることで、つまらぬ自尊心を満たすことへの嘆きを覚えずにはいられなかった。同時に、いい加減もう変化という荒波の中で揉まれて生きるより、淀んでしまうほど流れのない水の中にある方が自分には向いているのだと自覚し、今持っている尊大な野心は捨てて生きようとも思えた。

そんなこと思いつつ、彼氏かもしれない男のところに向かう彼女に私は手を振って別れた。

東京元年の終わりに

今日はずっと家にいた。今年のうちに面倒なレポートを片づけようと思ったからだ。ところが、そう思うようにははかどらず、何をやっていたのかわからないうちに時間だけが過ぎていった。夜は格闘技をチラッと見てしまったのが運の尽き、気になって勉強どころではなくなってしまった。己の意志の弱さを今年の最後にも痛感した次第である。

雪国の出身である私にとっては積もった雪など珍しくもないのだが、東京では違うらしく、この大晦日に積もった雪というのは21年ぶりだそうだ。私としては雪が降ったことで冬が来たなぁ~と、ある意味落ち着くところがあるのだが……。そう言えば、こっちの人には冬靴という単語が通じなかった。

まぁ、何にせよ今年も終わりである。今年は久々にいろんな人に出会い、いろんな体験をし、様々な知識を吸収し、世界が広がったハズである。だが、この胸にくすぶっている物足りなさは何だろうか。それはもうわかりきっている。やりがいのある仕事が私には必要なのだ。心満たす恋愛が必要なのだ。

後者はある程度縁というものが絡むので考慮からいったん外す。問題は仕事である。私はしばらくの間、まともな仕事をする自信というものを無くしていた。それを今年取り戻せた。私はやれるんだ、働けるんだというささやかな自信である。すると今度は、自分のキャパシティにまだまだ余裕があることに気付き、現状に対する不足を感じずにはいられないくなったのだ。

その気持ちと学業との折り合いが来年の課題だろう。仕事に物足りなさがあっても学業に打ち込める環境を選ぶか、より役に立つ知識と経験や今以上の金銭を求めて学業の優先順位を下げるのか、この選択はそう遠くない未来にしなくてはいけない。

 

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