面汚しの扱い方

記入日:2005/01/05

奈良の幼女誘拐殺人の犯人が捕まった際に、新聞販売員とだけ書いたところとそうでないところの差について書いたが、今はもう毎日新聞の販売員と何処も書いている。当の本人となってしまった毎日では謝罪の文章も載せている。

だがまぁ、当事者となってしまった新聞社は運が悪かったとしか言いようがない。彼の男は各新聞社を短い期間で渡り歩き、そのとき所属していたのがそこだったという話である。最初の毎日と報じたであろう朝日によると、彼の男は朝日、読売、毎日の他に産経にもいたらしい。日経もまわっていれば大手総なめである。

ただ、あくまで販売員という身分である。ちなみに、この彼のことについて、読売は自社にいたことを書いていない(私が見た分では)。この辺に社の気質を感じる気がしないでもない。

話は大きく変わるが、歯を磨いていてふと思った。歯を一本磨く間、他の歯は磨けない。一本一本磨いているのを一気に磨けるようになれば時間の節約になりはしないだろうか。たかだか数分の作業に効率化もないのだが、一気にすべての歯を磨ける歯ブラシを想像した。

殺人事件を報道してどうする?

荒れる成人式を演出するメディアを感じる。例年よりは大人しかったとはいえ、ただの酔っぱらいを新成人の暴動=常識無き若者達と報じる。別にそこに映っている彼らを養護する気持ちなどないが、そんな奴は新宿の歌舞伎町、いやメディアが大好きな新橋にでも行けば似たようなサラリーマンはうじゃうじゃいる。それを忘れて騒ぎ立てる辺りに、くだらないジャーナリズム精神を感じずにはいられない。

極論から言えば、殺人事件だって同じだ。殺人事件など報道してどうする? 社会的問題が背景にないやつは特にそうだ。それを伝えることでどれだけの利益が視聴者にあるというのだ? 問題提示がそこにあるというのだ? 根拠のない心理学者の意見など聞いてどうするのだ? 畜生にも劣る婆の俗世間的ネタを増やしたいのか? ただただ、被害者などを見せものにして愉しんでいるだけではないのかと問いたくなる。結局のところ、ああだこうだと事件を予測するためのネタとして取り上げているだけな気がしてならない。

 

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