騒音被害

記入日:2005/04/01

下の階の住人がかける音楽がうるさいのは再三にわたって書いてきた。いつまでも日記でうるさいと言っていても仕方がないので、ここを管理している不動産屋に二度目となる苦情の申し出に言った。応対したのは目の離れた太めの男。前々から頼りないというか、その仕事ぶりから使えない奴という印象がある男だ。

彼に下の階がうるさいと言ったら、何時くらいにうるさいのか聞いてきたので、正直に一日中うるさいと答えた。そう、奴は家から出ることもなく一日中音楽をかけているのだ(私は外に出たり戻ったりしているが、いつ出ても戻ってもかかったまま)。

不動産屋の男は別店舗の上司的な人物に、また○号室の○○さんの騒音に関して苦情が来ましたと電話で伝えていた。電話し終わった後、きつく言っておくからと言い、ついでに「うるさいときにあなた自身が注意出来ませんか?」と、きたもんだ。

「注意出来ませんか?」。世間知らずのお坊ちゃんに「それくらいできないの?」と言わんばかりの口調である。おいおい、私がわざわざここに頼みに来ているのは、同じアパートに住む者に苦言を呈し、関係が悪くなってつまらぬ報復でも始まらないかと危惧してのものだ。住人同士というのは微妙な関係なのだ。それを「できませんか?」とは何事か。

そもそも、アパートの管理はそっちの仕事だろうに。黙っているだけで家賃収入の一部を受け取れるくせに、この程度の仕事もできないのかと言ってやろうかと、思ったときにはもう家に帰った後だった。私は人に言われてしばらくしてからムッとするという、ストレスを溜め込みやすい性格をしているから困ったものだ。

しかも、それから時間がいくら経過しても下の階はうるさいままなので、今度はそっちのせいでストレスが溜まっていった。ついに堪忍袋の緒が切れて、後先考えずに直接抗議に行った。下の階のチャイムを鳴らして、出てきた男は、前に一度引っ越しの際に挨拶に来た男とは違う男だった(友人か?)。

「誰だ、こいつは?」と思うよりも、とにかくまず注意を促そうと、怒りを堪えながらなるべく丁寧な言葉遣いで文句を言った。男は「わかりました」と言って、私が戻った後にいくらかボリュームを下げた。それから数時間後、何者かが二階に上がってくる音がしたので、奴が逆襲にでも来たのかと思ったが、家のチャイムは鳴らなかった。どうも、そのまま下の階に戻ったらしい。

そして数分後、音楽のボリュームが微妙に上げられた。どうやら、ボリュームはどれくらい上げられそうか調べに来たらしい。まったく、そこまでしてあの腐った音楽を聴きたいのか? そこまでして大音量で聞きたいならヘッドホンでもしろよ、このバカ! それとも何か、そのくらい高くしないと聞こえないのか? ええ!? まったく、バカは死んでも治らないのか。

相互主観性=客観性

下の階のうるささに関して、私の視点だけでは「自分が神経質なのかも」という見方が残されているので、一度知人に聞いてもらうことにした。知人が来た時点で午後十時を過ぎていたのだが、今日も今日とて妙な音楽が響いていた。知人も、「これは神経質かどうかじゃなくて、明らかにうるさい」と断言した。これで私の正当性が増したわけである。

ひとりの意見だと何をどうしても主観的に過ぎない(例え、ものさしを使って長さを測ったとて、その人が見た結果としての主観性が存在する)。これが幾人かの同じ意見・見解となれば、相互主観性=客観性となることを偶然にも今日の講義でやった。まだ聞いたのはひとりであるが、客観性を帯びたことに違いはない。

とはいえ、問題は何も解決していない。バカは相変わらずバカのままだし、たぶん不動産屋は何も動かない。民事不介入の警察に相談しても仕方がない。まったく、やってられない、やりきれない。

しかし、文句を言ってキレられては困る。そういう点で我慢してしまう自分がやるせない。ホント、世の中は大人の行動(穏便に済ませようとする)をするものに冷たいと思いたくなる一件である。何かいい方法はないものだろうか?

カスのために思うことはなく

あ~、うるさい。それだけ書けば、今までの日記を読んでいる人ならわかるだろう。なので、引っ越しをするために動くことにした。他人の迷惑のせいで動くというのは腹立たしいが、他に解決方法もないようなので動くことにした(大家から管理を任されている不動産屋は本当に使えない)。

敢えて今回の件でよかったことをあげるとすると、それは被害に遭う者の気持ちを知ったことである。もしかしたら、今まで知らず知らずのうちに誰かの迷惑になるようなことをしていたのかもしれない。そう思えるようになったことが、良いように捉えれば収穫であった。ただ、それは無論、下のバカのようなカスに対しての配慮ではなく、善良なる一般市民に対してのものだ。

知人の手伝い

引っ越しをすると言ったら、手伝いに行こうかと言ってくれた知人がいた。その人は引っ越し、特に掃除をするのが好きなのだという。一方で、昨日引っ越しをすると言ったら、手伝いますよと即答してくれた人がいた。他でもない、去年私が引っ越しを手伝った人だ。

その人には最初から引っ越しの際に車の方を頼もうと思っていたら快く引き受けてくれた。両者のあまりの快諾に正直驚いた。私はここまで素直に誰かのために動くことができるのだろうかと自問自答しそうになった。ただただ、今は両者の心意気に感謝し、何も嫌な人間ばかりに会ってきたわけではないのだなと改めて思った。

 

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