最後の夜

記入日:2005/05/02

クソ野郎の上で寝る最後の夜である。今日も今日とて、AM4:00(5/3)頃に騒音の垂れ流しである。もはやあきれてものも言えない。とはいえ、このアパートには一年間住んでいたので、それなりの思い入れもある。友人たちとの夜、女がらみのことでもいろいろあった。それをこんなかたちで去るのは残念である。

どれだけのバカを見るのだろう

今日は引越しの日である。予定通りレンタカー屋付近で知人と合流し、借りたワゴン車に乗って自宅に戻った。あらかじめ詰めて置いた荷物をワゴン車に載せていると、下の階のバカが台所の窓を開けてじっとこちらを見ていた(目を合わせていないが、雰囲気的にわかる)。知人が「引っ越し中なんでもう少し我慢してください」といったが、何も言わずに窓を開けたまま突っ立っていた。

そして、一通り積み終わったので出発したら、今度は部屋の窓を全開にしてじっとこっちを見ているのである。何なんだ、こいつは。気持ち悪いったらありゃしない! 奴を見た知人は「ちょっと脅せば何とかなりそうな感じ」と言っていたが、コイツの気持ち悪さは上に住んでみないとわからない。

とはいえ、まぁ今日からは静かな夜である。下に引っ越してくる人がいい人であることを祈りつつ、久々の静寂にこの身を沈めようと思う。引っ越しを手伝ってくれた人への感謝も忘れずに。

言われないから大丈夫ではない

引っ越し後、初めての朝を迎えた。部屋の片づけを後回しにしていたので、朝起きて目の前にあったのは段ボールの山だった。今日はこの段ボールの山を片づけ、壊れた部品や窓のサイズに合ったカーテンを買いに行った。伸びすぎた髪も切り、まさに心機一転といったところである。

ただ、騒音から逃れて来た私であるが、気付かぬうちに自分が騒音の主になっているかもしれない不安を感じた。今日髪を切ってもらった美容師が、私が騒音主に苦情を言ったというと、「ちゃんと言うだけすごいですね。言わないまま引っ越す人が結構いるらしいですから」と言った。

よいしょできるものはする、ただそれだけなのかもしれないが、実際に何も言えない人はいるだろう。だが、音を出している側は「苦情を言いに来ないから大丈夫」と思っているのかも知れない。実際、この前 大学のカフェで話した人の中には、自分は部屋で楽器を鳴らしているが苦情を言われたことがないので大丈夫と言っていた。

自分が騒音主になった場合について考えたのは、午後9時頃から部屋で洗濯を始めたところ、思いのほかうるさくて焦ったからである。洗濯中、部屋を出てどのくらいの音が何処まで聞こえるか聞いてまわったくらい焦った。

というか、私も「下の階がうるさくて」と言って引っ越した手前、ちょっと過敏になっているのかもしれない。でもまぁ、もう夜の洗濯はやめよう。建物の外には響いていなくても(私以外、この建物の住人はいない。たぶん、外に付けてある湯沸かし器の方がうるさいだろう。私にはどうにもできないが)。

最後に、数日前にある30代の女性が言ったことを書いて終わりにする。「最近の若い子はドタドタ歩いたり、戸をバタンと閉めたりしてうるさい。基本的に他の住人への気遣いがないのよね」。

メリット/デメリット

引っ越し二日目である。今日は一日家にいた、というよりはいることになった。溜まった課題を片づけなくてはいけなかったからだ。そのため、家の近所の一日を感じることとなった。文字通り朝から晩までいると、時間の移り変わりとともに、家の周りでどのような変化が起こっているのかわかる。

朝、前の所ほどではないが鳥の声が聞こえる。夕方には午後五時を知らせるメロディーが流れる。日中は近所の学校から子どもの声が聞こえてくる(祭日だというのに)。子どもの声といえば、今日は真向かいの老夫婦が暮らす家(たぶん)に孫を連れた娘(?)が帰ってきたらしく、その男の子の声がうるさかった。

子ども特有のわがままを通すための高い声を何度となく上げていた。「婆、みんな一緒にお風呂に入ろ」というフレーズを何度も聞いた。最初の「婆」が怒っているようなトーンで、「入ろ」で急に穏やかに誘いかけるような口調に変わる。何とも不思議な言い回しだ。

子も子なら親も親、とでもいうのだろうか。叫ぶ子の親もやっぱりヒステリックなところがある。老夫婦が子どもお金をあげたことで激しい口調で詰め寄っていた。

ヒステリーは心理学的には幼児性性格とか言われるが、まさに稚拙な罵り合いがそこにあった。だが、この親と祖父母の口喧嘩が子どもを不安にさせ、仲直りさせたくてさっきの「婆、みんな一緒にお風呂に入ろ」に繋がるとしたら、それはそれで健気な話ではないかとなるのだが……。果たして真相は如何に。

まぁ、そこの家の話はどうでもいいとして、新住居と旧住居の比較を改めてやってみる。立地条件はさほど変わらないが、旧住居の方が大学・地下鉄の駅に近い分いいだろう。家賃は新住居の方が安いが、部屋面積は旧住居の方が広い(収納も)。ただ、入ってみた感じでは新住居の方が気密性に優れている気がしないでもない。

ちなみに前の所は軽量鉄骨造りで、新住居は木造サイディングであるが、新住居はほぼ新築に近いと言っても過言ではない。壁紙が新しいのは当たり前、外壁も新しい上にトイレ・バスも新しい。備え付けの冷蔵庫があり、新品のエアコンも備え付けられている。そして、どこにアンテナがあるのかわからないが、BSハイビジョンが見られる(CATVも)。

新住居の難点はトイレ・バスが一緒(これが標準だろうけど)、台所が狭すぎて料理が出来ない、部屋の鍵が閉めにくい。あとは、玄関が一階にあって、下の人と共同だということだ。ただまぁ、そんなに苦ではないものばかりだ。何より、あのクソ野郎がいないのが最大のメリットである。

忘れるべきことなのか

すっかり、新住居モードの思考になり、土曜日引っ越してくる人はどんなだろう的な感じになっていたのだが、講義の後に偶然出会した知人と話す中で、引っ越しの話題になったことで引っ越すまでの経緯を話すことになった。そのため、すっかり忘れモードに入っていたクソ野郎への憎しみが沸々と甦ってきた。

こういうことは忘れた方が楽なような気がするのだが、かかった費用を思うと忘れてはいけない気がしないでもない。いつか、払った分を取り返すんだという気持ちを持ち続け、この怒りと憎しみをプラスの力として転化し、何かに突き進む原動力にしたい。

その前に、復讐心となって私の背中を押しそうな気が少しする。合法的な復讐としては、うるさい状況を録画なりしてテレビ局に送りつけ、「奈良の騒音オバサンは他人事ではない」コーナーでも作ってはどうでしょうと誘いかけ、非常識な野郎としてあいつを吊し上げてもらうというものがある。無論、全国各地に私と同じ思いをする人がいるわけだから、ネタはどんどん集まること間違いない。

内容的には騒音主に正義の味方面したリポーターが執拗にインタビューするという、河川敷のゴルフ練習や違法駐車自転車の所有者に詰め寄るパターンと同じである。視聴者は非常識野郎がテレビで吊し上げられ、非常識人としてコメンテーターのやり玉に挙げられるのを見て、日頃非常識人によって溜まったストレスを解消するのだ。

拭えぬ不安

今まで新居の下の階が空いていたのだが、今日の夕刻に新住人が引っ越してきた。引っ越してきたのは前も書いたと思うが、卒業を前にした試験を交通事故のために受けられなかった社会学部の生徒だ。彼は母親と一緒に引っ越し作業をしていた。

新住人の印象は引っ越し挨拶をされたときの印象からすれば、まぁ悪くはないと言ってもいいだろう。私の洗濯機はうるさいことが最近改めてわかったので、洗濯機を朝使ってもいいかと聞いたところ、そういうのは気にしないという答えが返ってきた。逆に、今引っ越しをしているのでうるさいですが、9時までには終わらせるのでと言われ、私は気にしなくていいと答えている。ついでに、私の学部を聞いたらしく、生活リズムが同じですよねとも言われた。

このやりとりを終えて、私は逆に自分が音にうるさいと思われてしまったのではないかという不安を抱いている。前の所を移る際、不動産屋で引っ越す先に入る予定の彼はうるさくないですよねと聞いたので、不動産屋が気を利かせたのか彼に電話をし、うるさくしないことを確認している。その上、私の質問である。過敏だと思われても仕方あるまい。いや、音にうるさいという先入観があったのに、引っ越しの音は気にしないと言われて戸惑っているのかもしれない。まぁ、そこまで考えることでもないのだろうが……。

それよりも心配なのは、それこそ馬鹿げている心配だが、あの引きこもりの騒音野郎と彼が友達だったらという確率の低い心配がある(彼の友人はみんな卒業したと言っているので可能性はきわめて低い)。だったら、どうだというわけでもないが、それで野郎が家に来たとしたらある意味最悪の展開である。それを言ったら、野郎と構内で会うのも最悪だ。そっとの方が確率は高いし。

 

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