カウンセラーは占い師

記入日:2005/07/01

先日、子どもを産みたくても産めない人を傷つけてしまった話を書いたが、今日はその人から子どもに関する話題を振られた。カウンセラーって役に立っているのだろうかという彼女の問いというか、半分小馬鹿にした感じの話題が提起されたので、ある種の人が抱いているような憧れを持たれる職業というよりは電話の人生相談、更に言えば背中を後押しするするタイプの占い師と同じではないかと切り返した(話を聞くことで相談者の気持ちを整理させたり、漠然とした不安に根拠は無くとも大丈夫だと言ってあげたりするような)。

その切り返しとして、彼女は職場で90過ぎの爺様から手相を見られ、「あんたには3人子どもがおる」と言われ、「いない」という事実を言っても爺様は「いや、いる」の一点張りだった話をした。やれやれな爺様ではあるが、問題は彼女から「子ども」というキーワードが出てきたことだ。私の中ではこの間の一件ですっかりタブーになっていたので、どう言って返したらいいのかと少し迷った。

普段の私ならば、「本人も気付かないうちに隠し子がいるかもよ」とか、「人間ではない何かを宿しているのかも」などとほざくのだが、そのときは「子ども」という言葉に触れないように話題が過ぎ去るのを待った。過敏に反応したかなと思いつつ、この微妙な問題にはなるべく触れずにおこうと思った。

カウンセラーと言えば、数週間前のことだが、大学で例の騒音野郎の姿があったように思えた話をしたら、突然会ったときの会話をシミュレーションしておいた方がいいと言われた。それに対する異論はないのだが、あの野郎に「○○に住んでいる人ですよね」と話しかけ、最初はたわいもない会話で済ませる。その後、「上の階には新しい人が入りました?」といった話をし、平常心(感情的にならずに)で話ができるようになってから、騒音がうるさかったことを話すという流れを話した。

私はこれにカウンセラーの限界を感じた。私のこの問題はそういう問題ではないのだ。普通に挨拶を交わして、なんて出来るわけがない。そもそも、一種の敵対関係にあるのだ。そんなことをしたらおかしな奴となめられ、バカにされるか、気味悪がられるのがオチである。バカも休み休み言って欲しい。

個人間では解決できないこと

例えを挙げれば、仮に奈良の騒音オバサンの近所住民が引っ越した後、騒音オバサンに会ったときに普通に挨拶出来るだろうか? 何故、あいつに気を遣って話しかけなくてはいけないのか、丁寧に応じなくてはいけないんだと思うだろう。というより、もはやそういうことが出来ない感覚になるから問題なのである。憎しみの針が我慢の限界点を振り切っているのだ。だから苦情を言いに行ったということをまるでわかっていない。

某週刊誌で騒音被害などに関する特集があった。そこで、何処ぞの大学教授らしき人が、地域の問題解決を地域組織や法制度に頼るのはコミュニケーション能力の低下だと言っていた。

こいつもバカじゃないのか。実際問題、個人間では解決出来ないからそうやっているのだし、またそういった組織が必要になってくるのだ。近所間のもめ事など、古来から奉行所などの第三者が解決のために関わってきたではないか。それこそ、人間的なコミュニケーションを知らないから当事者だけで何とか出来るなどとほざけるのだ。

増田ジゴロウの引退

話をライトな方に戻し、別の微妙な話。今日の夕飯は自分で作った回鍋肉だったのだが、レシピにあったキャベツ200g(大玉1/4)がクセものだった。キャベツの200gなんて想像出来ないからだ。大玉と言われてもスーパーの表示ではサイズなど書いていないし、あまり野菜を手に取らないのでどれくらいから大玉かわからないので、買ってきた98円のキャベツを半分にし、一口サイズに刻んでフライパンに入れたらフライパンが一杯になった。

多すぎたかなと思いつつも、焼き始めたらしんなりして他の食材も入れられるスペースが出来た。あまり料理しない人間にとっては、使い慣れない食材は未知の物体に変わることがある。ホント、200gは微妙だ。

おまけにもうひとつ。tvk(テレビジョン神奈川、の略かな?)の「saku saku」という番組がある。この間、友人宅でDVDを観たことがきっかけで、最近観るようになったゆる~い番組である。内容は説明しづらいので割愛する。

そこに登場していた増田ジゴロウなるサイコロのぬいぐるみが、今日をもって引退することになったらしい。理由は大人の事情、いわゆる著作権絡みらしい。著作権か、著作権も結構微妙な問題だよな。

 

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