音楽はいらない

記入日:2005/07/13

大学からの帰り、奈良の騒音オバサンの引っ越しの歌を歌う輩がいた。私が何人かを追い抜いた後で聞こえてきたので、思わず私の姿を見つけたアイツかと思った。アイツとは他でもない例の騒音野郎である。まぁ、振り返ったがその姿は確認できなかったので違うだろう。

しかし、あんな歌は流行って欲しくないものである。一部メディア、いや具体的に言おう。週刊プレイボーイでは楽天の応援団に騒音オバサンを、あのラップのリズムで応援すれば~という記事を載せたことがあった。悪ふざけにしても犯罪者の使い方には配慮が必要だ。騒音被害にあった側にすれば冗談でも書いて欲しくない記事である。

いくら低俗雑誌とはいえ、あまり馬鹿な記事ばかり書いて欲しくはない。俗悪情報の垂れ流しは読まなきゃいいという問題では済まされない。あれを読むことでオバサンの歌がいたずらにヒットし、騒音被害者の耳に入るたびに嫌な思いをするとしたら、と言えばメディアの影響力の大きさとその責任が端的にではあるがわかるだろう。

音楽といえば、最近はもう極端な話、音楽はいらないとさえ思うことさえある。音楽は聴きたい人にとっては音楽であるが、聞きたくない人にとっては騒音である。これだけちまたに溢れていると、騒音として聞いている人の方が多いのではなかろうか。

もう少し聞き方というものを考えてもいいのではないかと、店でかかる音楽や商品を売るための音楽、CMで意味なく流れている音楽に、電車内などで各種プレーヤーから漏れる音楽、はたまた窓を開けて大音量で流しているそれを聞いて思わずにはいられない。無論、癒しや励ましを受ける音楽もあるのだろうけども(その人にとっては癒しでも他者にとって苦痛では問題だという話でもある)。

無断休講

仕事が終わって軽く買い物をし、買った物を家に置いてから大学に行こうとしたのだが、家はムンムンとすごい熱気でまさにサウナ状態になっていた。一分もいないうちに汗だくになり、物だけ置いて再び外に出たら外が酷く涼しく感じられた。

その後、大学に行ったのだが、汗がダラダラでとてもじゃないが勉強する気にはなれなかった。ましてや、あの怒りっぽい先生の授業など、である。でもまぁ、今日で授業は最後だしと気を取り直して教室に行くと、授業開始数分前だというのに数人しかいなかった。おまけにTAもいないと来ている。

おかしいと思って休講情報を見に行ったのだが、何処にも休講だとは書いていなかった。休講だと断定するにはまだ早いと思い、その辺をふらついていたら同じ授業をもぐりで取っている知り合いにあった。

彼が言うには、あの先生は休講を事務所に届け出ると補講をしなくてはいけないため、届け出ずに突如として休講することがあるらしい。まったく、やれやれな話であるが補講などして欲しくないので、まぁそれはそれでいいやと、むしろ授業がなかった喜びに素直に浸った。それはそうと本当に暑かった。こんなに暑いと勉強する気も起きない。夏休みとは素晴らしい制度だと改めて思った。

嫌いは敵

今日は特に何もない。ただ、何かを見て思ったことがあったのでメモ代わりに書いておく。別に大したことじゃないのだが……。『嫌いだからといって、何も敵に回すことはあるまいに』

 

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