郵政民営化法案が参院で否決

記入日:2005/08/08

郵政民営化法案が参院で否決されたことを受けて、当初の約束(?)どおり衆院が解散した。首相は郵政解散、郵政民営化を問う選挙になると言っているが、私には郵政とは違う部分でNOを突きつけられるような気がしてならない。と、思っていたら、某新聞紙の世論調査では支持率が上がったそうな……。

郵政民営化のみでYES、NOをしていいのだろうか。郵政が賛成だからYESと言っても、もれなくアレな政権という大きなマイナスがくっついてきたら、本当に良い選択だったと後で思えるだろうか。

少なくとも、民営化の賛否を問う以前に、政権を選ぶものであるからにはそれに相応しいか考えるべきである。多くの人はイメージのみで判断し、変わらない閉塞感の打破のみを期待しているのだとしたら、何かこう共和制のローマが辿った道を思い起こしてしまうのは考えすぎだろうか。

某TVの「(首相を)支持します、造反者も出たでしょ?」という街のオバサンの意味不明な論拠に呆然とした。造反者という言葉の響きがよくないのかもしれない。たかだか党というか、首相の意向に反対しただけで重罪人のような物言いである。子ども番組でも見ない絶対の正義VS絶対の悪の戦いだとでも思っているのだろうか。

そもそも、この問題の争点である否決された郵政民営化法案。この中身を知って支持しているのだろうか。そして、識者などに見られる内政と外政の評価の食い違いをどう思っているのだろうか。

今そこにある姿

いくら過去を自慢しようとも、今そこにある姿が尊敬されるべきものでなければ無意味だ。すべてが今に繋がっているのだから、今にプラスになっていない過去の栄光など何の意味も持たない。

自分が詳しい話題のみを繰り返し、自分の土俵で戦って得意になる。相手の得意なフィールドも知らずに、相手の土俵に立つこともなく、相手は無知だと馬鹿にする。

相手にも人生というある一定の時間がある以上、自分の知らないことも知っているはずだという認識がない。たとえ自分より年少であっても、そこには自分にはない知識と記憶があるのだ。そう容易に「お前は無知だ」と言うべきではない。

ほとほと疲れた、人間ってやつに。

真摯な態度

言葉には常に迷いが伴う。自分が今、ある程度正しいという確証を持って話した事柄も、数年先には間違っていたと、新事実によって、もしくは自分の接していた情報の間違いの発見によって気付く可能性があることを思えば、「これは絶対こうなんだ」と強く言い張る人間には胡散臭さというか、ある種の疑念を持たざるを得ない。それは自信のなさとは違う真実に対する真摯な態度の有無だ。

 

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