伝えるべき相手の不在

記入日:2005/08/29

私は情報の送り手側に立ちたかった。不誠実に垂れ流される情報ではなく、誠実さを持ってこそ生じる口に出す言葉の迷いに苦しみながら道を歩もうとしていた。だが、どうだ? そこまでして伝えるべき相手が、この国にどれだけいるというのだろうか。

情報の本質に迫ることのないまま、その出来事を理解したとして満足している人間。世間一般という曖昧な存在が創り上げた正論で身をまとい、それをまとっている以上は自分は正しいのだと思い込む人間。正論にしがみつけば真実に触れなくてもいいという人間。自分が正しい、自分の見識こそが絶対と思う人間、特に愚鈍なる年配者の煩わしさ。

もはや、私には言葉を発するべき相手はいない。発したところで、虚しさに苛まれるだけではないのか。愚かなる者の愚かなる言葉に心を砕き、その誠実さ故に相手を諫める言葉も出やしない。相手を傷つけられないがために自らを傷つけ、思いもしない言葉に共感のふりを見せる。悲しいではないか、自分を消してまで愚者の中に在るということは。

ならばいっそ独りがいい。愚者が創り上げた常識という妄想の中で自分の色を塗り替えるより、生活していくための最低限の接触以上は拒み、ただ独りの真なる自由をこそ求むればいい。何も寂しいことはない。負い目を感じることも、焦りを覚えることもない。それが真実なのだから。

 

ランダム・ピックアップ