言えなくてストレスが溜まる

記入日:2005/09/01

言えなくてストレスが溜まる。朝日の記者が記事を捏造した件で、同じセクションの奴が「早稲田辺りを出て、試験では苦労したが、たいした苦労もないまま記者になってやったんだろうな」と言った。一度も学校という領域から出たことがない者が、である。

まぁ、ガキの言うことを真に受けてはいけない。彼は安全な領域で好きなことを言っているだけの存在でしかないのだ。逃げるために大学院を選択するような男だし。ただ、彼は年の割には知識が豊富で、口だけは達者だから余計に困った存在なのだ。

何か言おうものなら適当な屁理屈で自己防衛し、何でも正当化してしまいそうだからだ。口べたな人間が注意しようものなら適当にやり込められてしまうだろう。おかしな話だ。とはいえ、あの遅刻癖は何とかしてもらいたい。

ことあるごとに電車の遅れを言い訳に遅刻しているのだが、この電車の遅れだから仕方がないという理屈、毎度毎度遅れるのなら遅れる分を考慮して早めに出ろと言いたくなる。だが、なんかそれももう面倒になってきたので言わない。

言えなくてストレスといえば、前に団塊の世代が退職した後のいわゆる空きについて話したとき、その空きの分の雇用が予想されるという昨今よく見る予測を話したところ、「違うよ、天下りして何にも変わらない(会社の上司の見解らしい)」と言ったバカ女が居た。ついでに意見が違うのは会社員じゃないからなどと。

社会全体の流れに影響するほどの天下りがあるかよと突っ込みたかったが、私という人間は即座に的確な言葉が出ないので困ったものである。特に相手の意見に合わせる言葉はすぐに出るのに、相手を批判する言葉はなかなか出てこないのだ。損な性格だとつくづく思う。

で、その女。この手の話はこれだけではない。私が以前就職活動をしたときは就職氷河期という言葉が盛んに言われている時だった、という話をしたところで「違うよ、そういうのは気持ちの持ち方次第」と時代の見方について語られた。まったくもって話の筋というものが見えていない女なのだ。

こっちはオバサンだが、これも以前書いたが「心理学は信じない」と言った輩が居た。それについては以前も心霊現象のように「信じる」「信じない」で学問を語るなという思いは変わらない。ついでに、そこでは統計への批判も見られた。

それは旦那の見識から、統計には統計を取ろうとする者の作意のようなものが入るから数学ではないといった話をした(旦那の話自体で言えば数学に入れるか入れないかである。ただ、彼女は統計で立証する心理学を批判するために旦那の言を用いている)。

だが、言わせてもらえばその作意的なものを含む第3の数値的ものを除き、調べたいものに迫り続けようとすることも統計ではないのか。それをロクに習ったこともない者が批判するのはいかがなものだろう。何かを批判するとき、それに関するバッググラウンドがどれだけあるのかによって、同じ言葉を用いても重みが違うのだと今更ながら言ってやりたい。

ということで、何だか人と交わるのが億劫になってきている。正確には真っ当な見識を持った人となら構わないのだが、外を歩けばバカに当たるのだから嫌にもなる。そして、私は何故かこの手の類の人間に囲まれやすいのだ。たぶん、あまり上手に批判というものや人を避けるということができないから、他に行き場のない者がやってくるのだろう。

食事面接

ふと、企業の採用試験について思った。面接時に食事をするのはどうだろうか。いっそ、夜の宴会にでも呼んで、語らないながら人物チェックを行い、採用を決める方が形式的な面接よりも、その人の本質に迫れるのではないだろうか。そもそも、食事というものは生活様式をチェックするにはいいものだろう。食べ方ひとつで、その人の色々なところが見えてくるものだ。

食事繋がりでもうひとつ。レストランではよく、セットメニューでライスかパンを選択出来るものがある。たまに、両方少しずつ食べたいと思うことがある。そこで、半ライス・半パンという中間を取ったものはナシだろうか。材料費的には同じなので付け加えて欲しいのだが……。でも、両方食べたいなんては私だけか?

食い物繋がりで肉屋の話。割とよく行く神楽坂の肉屋に人集りが出来ていた。見た感じでは普段と同じなのだが、やたらと人が並んでいた。そこにはカメラもあったので「やらせ」かと思った。後ろから見た感じではいつものメンチカツなどを売っているような感じだったから……。

イメージだけの情報

「そうだ、選挙に行こう」というフレーズをよく見たものだ。その手の話を聞く度に、選挙に行く者はよくて、行かない者は悪いという単純な区分けを思い出す。実にくだらない見方だ。何の考えもなしに一票入れる輩が偉くて、行かない者は国政を考えていないと言うのだから。

そもそも何だ、普段たいしてニュースも見ないくせに、こういう時だけ適当に見て知った顔をして一票を投じる。それも中途半端な見解のままにイメージで入れてしまう。たいしてものの見方が出来ていないせいか、「今度の選挙は郵政民営化か否かを問うものだ。民営化に賛成なら自民党」と言われれば本当に賛成か反対かで入れる。政権を選んでいるのだという自覚も無しに、その他の問題に目をやることもなしに ただそれだけを見ている。

マスコミもマスコミで政策云々より対決姿勢ばかり必要以上に煽り、やれどこそこの誰には誰が差し向けられただの、候補者のプライベートに関するゴシップばかりで嫌気が差す。選挙報道も各局バラエティー的な作りが否めず、酷いところは格闘技番組と同じタイプのナレーションを入れている。他局も番組名からして何かのもじりとふざけている。まったく、やってられない。

週刊誌に至っては自民圧勝予測のいい加減さとしてRDD方式の世論調査を批判したのはまだ大目に見れるとしても、選挙投票日にアルカイダがテロを起こすに至ってはなんと言っていいのやら。最悪なのは畑違いではあるが、阪神の星野SDが巨人の監督になるというバカ騒ぎだ。まぁ、星野氏がマスコミを利用してもし移った場合の反響を確かめたのかもしれないが。

 

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