マナーの悪い年配

記入日:2005/09/27

「最近の若者は」という言葉は聞き飽きた。古代エジプト時代の石碑にもその言葉はあるということからして、人類はずっとこの言葉を言い続けてきたのかもしれない。そう、若いうちに聞き飽きても、老いればそれを忘れて用いるという不毛な繰り返しの元に。

同時に、「最近の若者は」の後に「躾(マナー)がなっていない」と続くことがよくある。だが、私が日常見る限りでは年配者と若者の不作法の割合には大きな差がない。今日もその例に遭遇した。

すっかり日が落ちた午後七時過ぎ、自転車を運転していると前を走っていた自転車が別の自転車と接触した。前を走っていた自転車には年配の男性が、ぶつかった自転車には中年の女性が乗っていた。

衝突後、女性は短く悲鳴を上げたが男性はまったく動じずに、すぐに女性から離れると何も言わずに道を急いだ。女性も不快そうにその場を後にした。

衝突の原因は曲がり角で男性が左折しようとし、その左折した方向から女性が来たことだ。女性の方は死角になっていたのでよくわからないが、男性は結構なスピードで曲がろうとしていた。

ちなみに、曲がる先から別の女性が自転車で来ていて、その人は曲がり角の外側を回っていたが、ぶつかった女性は内側を回っており、彼女から男性は見えない角度になっていたと思われる。そんな事情はまぁいいとして、私だったら衝突したらすぐに謝っただろう。自分に根本的な原因があるかないかを問わず、相手に痛い思いをさせたことに関して、である。

謝ったら負け

だが、こういった対応はよくないのかもしれない。謝るということは自分の過失を認めることになり、法的には不利な状況に置かれる気がする。他国ではよくある話で、そのため自分が悪いと思っても謝ったら負けだという風潮があるところもあるらしい。しかし、しかしである。

暗い夜道をライトも付けずにかっ飛ばし、曲がり角をスピードも落とさずに曲がり、他人とぶつかったのに謝罪の一つもナシというのは人としてどうなのだろうか。あまりにもさもしい気がするのは私だけだろうか。

仮にこの年配者が先に挙げたような「最近の若者は~」というタイプだとしたら、たぶん このことを彼に問えばなんやかんやと言い訳をして正当化をするのだろう。そして、相も変わらず「若者は~」というフレーズを使う気がする。

最近の若者は切れやすい

「最近の若者は切れやすい」だのなんだの言っているが、もし近い将来その原因が添加物まみれの食材や汚れきった環境にあるのだと科学的にわかったら、その環境を作り出した彼らは何と云うのだろう。

今は大丈夫と思っていても、研究が進んでいくうちにダメだとわかる場合が往々にしてある。そんな日が来ないとも言い切れないだろう。

 

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