退職宣言と進むべき道

記入日:2005/12/10

辞めることを言うときは、いつも妙な不安が残る。特に次が決まっていないと、大丈夫だろうかと思うのは仕方がないことだ。今回は決まってはいないがアテはある。ただ、そのアテに飛びつくべきなのか、それとも生活スタイルを変えて賭けに出るべきなのか、正直迷っている。

アテに飛びつけば今以上の収入が得られる上に、他よりも大学にも通いやすい条件が多々ある。無論、収入が上がるというのと労働時間は比例しているわけだが、今が少ないということもできるので気にはしていない。

逆に賭けに出れば、会社の運営を多少なりとも間近で見ることができる。起業家との人脈ができるかもしれない。将来、おもしろい人生を描きたいのであれば間違いなくこちらだ。ただし、収入はそう期待できないし、学業の面から考えると辛いものがある。あそこで学べる学問など、捨ててしまっても惜しくはないのだが……。

改めて考えると、私はつくづく新たな一歩に怯えているのかもしれない。その新たな一歩とは後に述べた仕事を選ぶことを意味している。アテにすがって安定を得て、その後の人生プランを無難に考える。それが一番生きやすい人生かもしれない。

逆に後の選択肢を選んだとしても、そちらは先行き不透明な感が否めないし、人脈を築いたところで その手のことをやるだけの度胸があるとは残念ながら言えない。仮にそういうことをしたとして、私はそのことにどれほどの喜びを感じられるのだろうかとも思うのだ。

私は本当に何をしたいのだろうか? かつては創作行為こそが生きる糧であり、時には不本意なものながらも仕事としたこともあった。だが、不本意な仕事を通して私は書きたいものを失った。あの瑞々しい言葉を失った。枯れ果てた私に、もう あの夢は見られない。

もし、見ることができるのだとしたら、仕事は食うためと割り切れる仕事に就き、あとの時間をそこに費やして朽ちていくのも悪くはない。しかし、もう二度と満足のいくものが生み出せないのだとしたら、別の憑代を探し出さなければならない。

自分が社会に必要だと感じた事業を展開し、より生きやすい社会の実現を目指し、地方における雇用拡大を最終目的とする。いや、最終的にはたぶん自分の"街"を作ってみたいのかもしれない。これは、ただの夢想に他ならないが、私がそちらの道で望むものとはそういうものでしかないのかもしれない。

そこまで考えて、その先の妄想に気が付いた。そう、そちらの道を選んだとしても、その力で自分が望む作品を手がけたいと思っているのだ。大きな力が無ければなしえない作品を、自分の主義主張で作れるだけの力が欲しいと思っているのだ。

どちらの道にせよ、私は結局そこに辿り着くのだろうか。自分の進む道だと思いながらも、書くこと自体に億劫になってきたというのに。書いていても幸せを感じることもなく、ただただ使命感に似たものに突き動かされるように、言葉を紡いできただけなのに。私はいったい何なんだ。

何を書いても、あの瑞々しさは永久に現れないというのに。ふと、瑞々しいという言葉を辞書で引き、そこに若さという文字を見つけて苦笑した。そうか、もう若くはないのかと。ならば、過去の瑞々しさを求めても仕方あるまい。今求めるべきなのは、過去にあった良さではなくて、今だからこそある良さなのだと。そう自分に言い聞かせて、今はただ新たな道のためにグレーな日常と安定を捨て去るだけだ。

録画ミスとリストの数

朝起きて、昨日の深夜番組が撮れているか確認するためにDVDプレーヤーを起動したら、お知らせメッセージの文字が表示されていた。これは何らかの理由で録画できなかったときに表示されるものである。この時点で撮れていないことがわかった。

リストを見てみて、やっぱり撮れていないことを確認後、何故撮れなかったのかの検証に入る。支度をしながら取説を読むと、リストの数かチャプターマークの数が限界を超えている場合に録画されないとあった。こんなものは前もって録画説明欄にデカデカと書いていてほしいものだ。勿論、きちんと限界数を書いて。

リストの限界数、つまり録画出来る番組タイトル数はおそらく300だろう。取説に数が書いていないので推測でしかないが、録画失敗したのはちょうど300番目に当たる。現に、新たに録画しようとしても失敗していたが、録画番組をいくつか消去して録画し直すと撮れた。

ついでにもうひとつ。最近になって千葉テレビが映らなくなった。テレビの方は再度自動チャンネル設定をすることで見られるようになったが、DVDプレーヤーの方はチャンネル設定をする画面にすることすらできない。設定画面を呼び出すためにはセットアップという項目を選択しなくてはいけないが、それが選べない状態のままなのだ。何か解決策があったようにも思うが、取説のトラブルシューティングを見ても書いていない。ほんと、困ったものである。

タバコの論議

タバコを悪く言ったら、愛煙家に禁煙ファシスト呼ばわり。おまけに、タバコと税の話をされた。税金が平等にとることが前提であるのはわかっている。タバコ税が害を及ぼすから高いのもわかっている。ポイ捨てが、害ではなくマナーの問題であることも。

 

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