三人寄っても文殊の知恵にはならない

記入日:2006/1/23

ベンチャーのプレゼンがあった。ある程度の突っ込みは覚悟していたが、思いのほか的はずれなものが多くでうんざりした。まず、でしゃばりTAの批判から。バナー広告での収益の話の後、「私は広告なんて見ませんが、みんなは見ますか?」と反論。

今現在収入として成り立つものを主観だけで、「自分は見ないからみんなも見ないでしょ?」と批判するとはバカも休み休み言って欲しい。ついでに、「見ますか?」もなにも、黙ってたって目にはいるじゃねぇか。サイトイメージ見たらわかるだろうに、バカじゃないのか?

次に社会人側から。自社がシステム開発を委託したら4000万かかったという話を持ち出し、その開発費を計算に入れるべきだと言われたが、そんなに金のかかるシステムを必要とするサイトじゃねぇんだよ。まぁ、言ってもわからないだろうから仕方がないが。

批判といえば、コンセプトに「幸せ」というキーワードがあり、それをプレゼン担当者が連呼したために、「プレゼン(ビジネスプラン)とはそういうものではない」的な意見もあった。私的には同感すべき点もある、というのはそもそもそんなキーワードに固執したのは、その担当者ひとりだけであって、そいつがうざくて仕方なかったからだ。

そんな奴を放っておいたのは単に、あまり関わりたくなかったからに他ならない。面倒だった、他の課題のこともあり、余計な労力を使いたくなかったというのがある。ただ、その「幸せ」批判にも反論は可能である。それはプレゼン相手の社長が、盛んにそのキーワードを連呼するタイプであり、プレゼンのターゲットが彼である以上、通常考え得るプレゼンとはアプローチが違っても不思議ではない。むしろ、その社長の気持ちになって採点しろ、ということもできる。

全体的にプレゼンの中身は薄く、がっかりするようなものだったせいか、先生方の怒りも相当なものだっただろう。このテスト期間まっただ中に他学部の生徒同士が集まって話をし、課題に取り組むという状況の悪さもあるだろうが、正直言って生徒の発想の質を疑いたくなる時間だった。まぁ、それはその後に発表した社会人にも言えることだが。

振り返って言えるのは、私ひとりでやった方がマシだいうことだ。寄せ集まってだらだらと話しても、理解力が乏しい上に自己主張だけはする輩がいては足を引っ張られるだけだ。現に、その「幸せ」固執君は人の作った資料をよく読みもせずに突っ走り、あとになって「こういう問題があると思います」と得意そうにほざいたが、それはとっくの前に私が指摘して改善策を施したものだった。おいおい、である。

三人寄っても文殊の知恵にはならない。そこで現れる成果は平均値でしかない。共同作業で生み出されるものは、グループ内で最高の能力を持った人間には及ばないが、平均値よりは上という結果でしかない。

まして、低脳で身勝手な人間がいる場合には結果は更に悪くなる。つまり、言いたいのは私がスペシャルだから私ひとりにやらせれば、面白いプランを4つは出してやるということだ。自信過剰とも言えるが、少なくとも会場で感嘆の声が漏れたのは私が担当した箇所のみだ。

中庸に位置するればOK

サークルの新年会に出席した。その席上で日本史関係の授業のレポートのテーマを聞かれたので、南京大虐殺論争についてと言ったら、食いついてきた女性が一人いた。まぁ、そこまではいいとしてもだ。同じ授業を取っていたオバサンが、その授業の講師の「史料なくして論を語らず」という姿勢では某K氏には勝てないようなことを言ってきた。

勝つとか負けるとか、そういう見方で歴史を学ぶなよと言いたくなったが、敢えて年配者を立てて黙っていることにした。まぁ、その論争をめぐるレポートの中身について少し話したところ、彼女は歴史専攻の者としては知っておくべき人物の名前を何人も覚えていなかった(私は歴史専攻ではないが)ので、言ったところで仕方あるまい。

ここまで書いた時点で、彼女の認識云々を書くのも馬鹿らしくなってきたのでサラッと流して終わることにする。彼女はいわゆる中立的視点に立てば、それでいいのだというスタンスがある。「自分は偏っていない」ということが、正しい認識とイコールだと錯覚している。論争があれば中庸に位置するればOK、それで私は分別のある大人だという顔をしてはいけない。

なぜなら、仮に真実を訴える側と虚構を創り上げる側がいた場合、その中庸を取ったところで虚構を半分担いでしまっているからだ。よく調べ、よく検討し、よく語らいもせずに、表面をなぞって中庸を気取っても知恵者とは呼べやしない。

とまぁ、偉そうに書いてみたが、相手に何らかの誤りがあったとて、それをいちいち指摘してまわっていたのではきりがない。また、指摘したところで、そういった性質を修正できるわけでもない。無知なるものすべての叡智を授けていたら人生が終わってしまう。そういう輩もいるのだと割り切り、かつ何人にもそのようなところがあるのだと想い、つまらぬことに時間を費やさずに生きていこう。

そう、人の認識とはおかしなものだ。久々に社会問題ネタを取り上げたついでに、今更ながら去年の選挙で見た光景から、人の認識の愚かしさというものを振り返ってみる。あれは、とあるニュース番組の映像だった。自民党支持者らしいオバサンが、カメラに向かってこういっていたのだ。

「(民主の)岡田さんもダメ。あの人も悪口だけだもの」、と。これは小泉首相の政策批判を受けてのコメントである。政策批判を悪口としか認識できない時点で、思わず鼻で笑ってしまうところがある。政策を論じ合うには時として相手の政策を批判し、自分たちの政策の優れている点を挙げることもあるだろう。それを悪口というのだから、政治というものをどう捉えているかうかがい知ることができる。

逆に言えば、あの手のオバサンの支持を得たいのであれば、品行方正に「頑張ります」だけ連呼して、愛想の良い笑いを浮かべてあちこち回っている方が、真面目に政策を論じるよりも効果的だといえる。あぁ~、くだらない。

 

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