他人の年収

記入日:2006/7/17

夢を見た。職場で昼休みを迎えた私が、食事をしに行く夢だった。夢の中の私は自転車に乗ってそこに向かっていた。私に続いて、茶髪の二人組も飯を食うところに向かった。すぐ自転車に乗って向かった私に対して、遅れて出て来た二人は徒歩だったので両者の差は開いていった。

だが、駐車場に着いて自動車に乗り込んだ二人組は、自転車の私を一気に追い越して先に行ってしまった。何となく、人生の先を行かれたような感覚に陥った。そう、人生なんて往々にしてこんなものだ。

そんな夢を見たついでに年収の話をする。今の職場にいると、他人の年収というものを見る機会が度々ある。というか、気がついたら見ている。個人情報保護法が施行された今、誰がいくらなんてことは言えないが、個人を特定しないレベルで少し書いてみる。

年収が多いと言えば医者が真っ先に思い当たる人が多いだろう。その見方は決して間違いではない。例えば、30代の医者で1000万という人がいる。大学病院の教授も期待を裏切らずに2200万。少し意外なのは、開業医の精神科医が3000万。保険がきかないだろうに、来る人が後を絶たないのか。それとも、点数制ではないからか(知らないけどさ)。

次に高収入として挙げられる弁護士では、結構なベテランで3000万という方がいた。なかなか有名どころのビルで働いている方だ。有名なビルで思い出したが、IT社長の中には30前後で2000万が一人、29歳で3000万の彼の元には大手商社を辞めて転職していく社員も……。ただ、この29歳はスタートラインからして違う感じ。いわゆるボンボンなのだ。

さて、一般庶民に目を向けてみよう。学校の先生が50代で700万、飲食店の従業員では250万前後をよくみる。ただ、本当にそうなのかと思うような値段もある。頭の中身が空っぽそうな事務員の女性の年収が400万近くあるが、それって夜の仕事も含めてじゃないのかとか思いたくなる。この年代の会社員といっても、低いところは250万から高いところでは500万近くまで様々だ。いったい何処から出てくる差なのか。

ちなみに年収が低い方では年金暮らしやパート、新聞配達といった方々を見かける。基本的に、単純労働は低いと見なされがちである。そりゃ、誰でもやれるからね。意外と言えば意外だったのは、私立大学の事務職員で80万というやつか。勤続7年なのにね。まぁ、大学は非常勤も安いと言うし、いったい学費は何に消えているんだと言いたくもなる。

不快な記憶を呼び覚ます

唐突に前の職場の屁理屈男(前も書いたが)を思い出して苛つくことがある。あの働かなかった日々では一度も思い出さなかったのに、新たな職場で働き始めてから幾度となく思い出している。自分の意思とは関係なく。それも疲れている時に。何故か?

自信を持てなかった時の自分の対応を思い出し、今なら言い返せるのにという悔しさが湧き起こったから? だとしたら、それは過去の自分への苛立ちに他ならない。そして、今の私は自信を取りもどした、自分を取りもどしたが故に苦悩していることになる。

でも何故、疲れている時に限って奴を思い出すのか。答えを用意することができる。疲れている時に限って思い出すのは、疲れても働かなくてはいけない自分への奮起を促すためだ。疲れて眠い状態を脱するには、強い感情を湧き起こすのが手っ取り早い。怒りが心頭しているのに眠れる者はいないからだ。

あの記憶の想起は私の眠りを覚まさせる自律機能だったのだ。同時に疲れを不快な記憶とイコールで結び、なるべく避けるようにと身体が警告しているのだ。いや、逆かもしれない。不快な記憶を呼び覚ますことで、何らかの精神的免疫をつけて疲れにも屈しない強靱な精神を養うのだ。どちらにせよ、アイツがムカつくことには変わりはない。

それとは別に、すっかり夏休みに入ったものだとばかり思っていたが、どうも今日までが授業だったようだ。それに気付いたのは家に帰ってからなのだが、私の家は大学に近いので出ようと思えば途中から出ることができた。それでも出なかったのは、汗だくだったので早くシャワーを浴びてスッキリしたかったことと、その後に授業出て湯冷めしたくなかったこと、なんと言っても取るに足らない講義だったからだ。

 

ランダム・ピックアップ