映像化してるのは素人だ

記入日:2006/7/31

アニメ化、ドラマ化、映画化、よく見聞きする言葉である。その際、映像化される作品、マンガ、小説等の作者は原作者となる。原作という言葉を見ると、何だか映像化作品の原材料を作った人、みたいな感じがしてしまう。

無論、それは当たっているようで違う。何も映像の元を作るためにマンガなり、小説なりを書いたわけではない(中にはそう願って書く人もいるかもしれないが)。マンガも小説も、それひとつとして完成形なのだ。映像化になって初めて完成する作品ではない。

ということを踏まえて話を進める。映像化されたものを観て、原作ファンは原作の方がいいと言う場合が多々ある。映像化されたものが原作通りであることを望む場合も多々ある。何故か? その人が好きなものが原作自体であって、それ以外のものを望んでいないからだ。その人の中の原作イメージを具現化することが、映像化するということだと思われているからだ。

だが、どうだろう。映像化と一口に言っても、表現その物が違うのだ。マンガならばコマが時間の経過となり、小説ならば文字の一つ一つが時間の経過となる。映像化されれば、文字通り作品内の時間が時間の経過となる。それでも、そこに同じものを観ようとするのだから、奇妙なものと言えなくもない。

おっと、また話が逸れ始めた。書きたかったのはたぶん、何故原作者を失望させる映像化が少なくないのかという話だ。以前、GTOという作品がドラマ化された時に、プロデューサーのコメントを読んで「おやっ」と思ったことがあった。

確か、キャラの設定か何かをいじって、この方がいいと判断したと自信たっぷりに語っていたのだ。テレビのプロデューサーが、である。プロデューサーとうのは私に言わせればクリエーターではない。金とスケジュールの管理がメインの役職のはずだ。間違っても、創作を追い求めて生きてきた人間ではない(スピルバーグとルーカスはおいとくとして)。

そんな人間が、である。物語を紡ぐことに心血を注ぎ続けてきた人間が作り出した世界を、これがベストだと思った世界を変えるわけである。お前、何様のつもりだと言いたくもなる。まぁ、この作品に関しては原作もよく知らないし、ドラマも観ていないので感想も言えないが、少なくともプロデューサーのインタビュー記事は不快だったとだけは言わせてもらおう。

第三者の目

なんでこんなことを書いたのかというと、いわゆる軽い小説を読んでいたらあとがきでそれを臭わす文章があったからだ。作者がどの部分が嫌だったのか、読んでだいたいわかった。確かに、あれは私も抵抗感があったが、原作のそれにしたって大したものではなかった気もしないでもない。こういう場合、お互いにもっと第三者の目を持って作品を見てくれよという気になる。

ついでに、その映像化にあたった某業界の人の中には、軽い小説を軽んじるような発言をされる人も何度か見た。そのたびに、人の所を笑ってる場合じゃないだろと突っ込みたくなった。その業界でずっとやってきたことは評価するが、その狭い世界のものの見方に凝り固まって、世間一般の常識や真っ当な大人としての経験が不足しているあんたらに、いったい何が生み出せるんだと毒づいてやりたい。本人を前に。

 

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