アーティストは子ども

記入日:2006/8/4

職場では有線が流れている。聞いていると、いつの間にか音楽を聴かなくなった理由が少しわかってきた気がした。曲調自体は問題ないが、歌詞に抵抗があるのだ。邦楽の歌詞と言えば、「好きだ」「愛している」の類のオンパレード。まぁ、こういうのは置いておくとしても、他もちょっとである。

「結果が全てじゃない」というフレーズがある。結果が要求される社会人にとって、いやプロの世界を生きる者にとっては、子供じみた理想主義者の想いに感じられて気色悪いのではないだろうか。最近よくかかる暗い曲で、「汗水垂らして働くことも、バカにされる世の中だから」みたいなのも、ホリエモン騒動等を足りない頭で一生懸命理解しました、そんな感じがして歌に浸るには違和感がありすぎる(受け取り方は人次第かもしれないが)。

つまりはだ、アーティストは子どもでしかない、そんな感じがしてならないのだ。それも恋愛にだけは特化した子どもと言えばいいだろうか。そっちだけは一人前の大人になっている類の、である。考えてみれば仕方のないことなのかもしれない。

一般的な社会人の道とそっちの道では大きく違う。そこを生きる過程で持つであろう信念も理想も、別の道を生きる者とは違って然るべきなのだ。「夢を諦めるな」と歌う、それは「夢を諦めずに続けたために、アーティストになれた」その人だから言えるものでしかない。夢を諦めるなという人には、夢を諦めざるを得ない者の気持ちは歌えない。

自分の人生において上手くいったことが、他の人の人生においても真理になるとは限らない。押しつけた信念と理想は、他人の身を焦がすだけでしかないことは往々にある。そう、年寄りが自分が生きてきた70年の経験で最善策を語っても、若者がこれから生きる70年はそれとは大きく異なるように。

子どもと表現したが、言い換えればピュアであればこそ、世の中はそうなのだと強く思ってしまうのかもしれない。その純粋さこそ、アーティストがアーティストであり続けられる精神的エネルギーの源と言えなくもない。

そして、先に挙げた意味での社会人的な歌というものを歌ったとしたら、それはそれで音楽としてどうなのかという曲になる可能性も低くはない気がする。いずれにせよ、仕事の専門化と細分化が進む中で、違う生き方をする者の気持ちをくみ取りにくい時代になったなとつくづく思う。

応用の利かない人

職場でいつも怒られる人が怒られていた。顧客が○○なので○○しますと報告しに来たらしいのだが、その人は言葉を額面通り受け取って○○することで発生する費用を誰が負担するのかについて言及しなかった(○○した後にうちの会社持ちと先方が主張し、「だって、その人にやるって言ってあるもの(了承された)」という風になったら大変……)。

また、○○するようにする理由について、詳細を聞かずに帰してしまったために、それだけ聞いたってどうしようもないだろ? ロボットじゃないんだから、自分で判断して行動しろよというわけだ。ついでに、昨日来たクレームは話を聞いただけで何も対応していなかったのか、相手を怒らせてしまってサァ~大変である。

私も彼と同じ仕事を受け持ったとしたら、完璧なまでにうまくやれる自信はないので強くは言えないが、一年半以上も同じ仕事をしてきてこれはないだろうとは思う。こういうのはマニュアル的なものはないだろうから、経験から学んでいかなくてはいけない分、怒る側も「もう少し考えて行動しろ」としかいいようがないのかも知れない。

 

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