自分は世の中を知っている

記入日:2006/9/10

前の職場に理屈っぽい知識だけの野郎がいたが、懇談会でも似たような類のヤツと遭遇した。得意分野は軍事とオウム、それから格闘技といったところか。

パキスタン解説者の誰それが言っていることはおかしい。江川女史がオウム追求の第一人者のように言われているが、組んでいたチームが某キャンプの取材をしに行こうとした際に彼女は妨害した。チベットの話に飛べば、農奴の話を持ち出して得意げなご様子(あれを農奴と捉えるのはどうかとも聞いた気もするが、詳しいことは興味がないので調べていない)。

自分一人ご満悦で周りの気分など知っちゃこっちゃない。適当に持ち上げて少し付き合ってやったらこれだから困ったものだ。この男、球技大会のときに「サードに飛ばないね」と言ったところ、偶然打球がサードに飛んだのを良いことに「(ほら飛んだという顔で)本来は飛ぶんですよ」と。それは野球の話だろ。キックベースで右打席に斜めから入っていって、サードを狙うのは難儀だからという話だというのに。

あと、この中には標準体型が少ないというような話をヤツが持ち出した際に、その標準体型の見本として言った身長と体重が私と同じだったので、「私はまさにそれだよ」と偶然一致したことを話題にしようとしたところ、「少ないっていったんですよ」とのこと。何というか、相手が何を言おうとしているのかという点に興味がないようだ。

だからだろう、彼が終始浮いていたのは。周りと話しているように見えて、ただ一人で喋っているに過ぎず、周りは誰も言葉を返していない。そんなだから、途中参加の私に寄ってきたのだろう。孤独な彼にとって、知識は浅く広くの私はうってつけの相手だったに違いない。とはいえ、だ。自分の得意分野だけ話して得意がるのはいかがなものか。

前の職場のあれもそうだったが、こういった類に女っ気はない。やはり女性には不人気なタイプだろう。興味のない蘊蓄を自分が楽しければ延々と続ける輩だ。鬱陶しいったらありゃしない。こういったのを相手にしたときよりも、相手にした後に何か後悔のようなものがやってくる。後悔というか苛立ちに近い。

それは「自分は世の中を知っている」と学生風情が思っている辺りから来るものだろうか。誰かが書いた言葉で世界を知り、誰かが撮ったビジュアルで世の中を見たところで、そこにどれほどの現実感が持てると言うのだろう。表層的な知識として己の中に沈殿したとして、今後生きていくためにどれほどのプラスとなるだろうか。

知識を得ることを悪しきと言うのではない。得たところで、取っている態度がそれでは「つまらない男」でしかないという話だ。彼らが知っている世界や社会は、世界でも社会でもない。ニュースという売り物でしかない。

この後、彼らが社会に出てニュースをいちいち吟味する暇もなくなったとき、もっと役に立つ知識を求めていればと思うのだろうかと、金を稼ぐことから遠い知識ばかり集めてきた私は気になるのである。

愚痴ってすっきりした後に、ちょっとした仕草で印象に残っているものがあるので書く。帰りのバスで隣に座った女の子が、携帯電話がなくなったといって探し始めたので一緒に探した。

しばらくして、彼女のバッグの中から携帯が出て来た。彼女は無言のまま、探してくれた面子が見ている中で、床に携帯を置いて「あれ? 携帯、何処に行ったんだろう」と探し、床に置いた携帯を見つけると「あった~!」と言って喜んで見せた。

元気の良い新人

職場に新たな社員が入っていた。この時期に来る人だ、「中途採用」=「社会人経験あり」という図式になる。パソコンは使えないと言っていたが、タイピングが遅いとはいえ使えなくはない。まぁ、こんなもの、ボタンを押せばいいだけの話だ。単純作業なら問題ない。

とはいえ、一般家庭ではまず使用しないソフトを使う作業だから、業界人以外はいろいろと聞いてやらなくてはいけない作業となる。で、彼の教育を一任された人がいないときは、私が聞かれる側になる。

で、そこで教え方のミスとでも言おうか、よく頭の中で整理しないうちにベラベラ話してしまった。こんな説明の仕方では、誰もわからないだろうと後で反省。おまけに、よくわからないことを聞かれても何故か答えようとしてしまった。

頭の何処かで、適当に濁せば「あまりよく知らない」という自分のマイナス部分を隠した上で、質問を乗り切れるような感じがしていたのかもしれない。

無論、そんなのは何の得にもならない。乗り切ったところで、根本的な解決には繋がっていない。問題は私の心情がどうこうではなく、彼にきちんとした作業方法等を教えることにあるというのに。

まったく、いちいち何かあれば心の中であたふたする自分の余裕のなさが腹立たしい。失敗したって死なない、恥を掻いたって死なない、だからもっとリラックスしていきたいものだ。

久々に勉強会があった。こっちはまぁ、いつも通りなのだが、中国のお土産として出前一丁の中国版をもらった。神戸牛味らしい……。まだ食べていないので感想は書けないが、自分が平凡な毎日を送っている間に、海外旅行とかされていると何かこう差のようなものを感じてしまう。

別に、人間的な大きさの差とか言うのではない。時間の有効利用的な意味での差だ。海外といえば、今年の後半をイギリスで過ごす知人もいるが(語学留学だったかな)、彼女も今までとは違った視点を得て帰ってくるのかと思うと、「毎日」を維持しているだけでいいのかなとも思えてくる。

よりネタになる人生を、と。ってなことを書いたが、正直言って海外に行くことに大きな興味がある訳ではないし、旅行が好きだってわけでもないのだが。

思い出しむかつき

合宿先での嫌なヤツとの会話を思い出すと、作業している手が止まって苛々することがある。私という人間は不思議なもので、そのストレス源に接しているときよりも、後々になって苛立ちが募ってくる場合が多い。「今思うと、アイツはムカツクヤツだったな」みたいな感じだ。

こういった感情は日記にでも書いてすっきりするのだが、それを書く気力もないとずるずると引きずることになる。そんなとき、職場にいる女性の言葉を思い出す。

「死ねばいいのに!」

半分は冗談で言っている言葉だが、どうしようもない人と仕事でやりとりした後に発するセリフだ。私の中では彼女の口癖として認知されている。ストレートな物言いで物騒だが、言ってみるとスッキリしていいかもしれない。

 

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